なんだか結果的によく撮れてる気がする「パッチギ!」

もしこの作品が駄作だったら僕は怒りが収まらず、なにかに八つ当たりしていたかもしれない。とすれば僕は、ずいぶん「イヅツさん」になだめられてると言えなくもない。というのも、クライマックス近くに壮大な喧嘩のシーンがあるのですが、1968年(またはそこから1年後ぐらい)の京都の夜、まだ街灯もあまりなくて、喧嘩さえなければ実に静かなわけです。その光景の遠く遠くにですね、見てしまったわけです。煌々と輝く、白と緑を。
もっともロゴタイプの表示がありませんでしたからね、ファミリーマートかどうかは知りませんよ。あ、言っちゃいましたけど。でも、僕の目にはそうとしか見えないわけですよ。だいたい、1968年の京都に、あんなにきらびやかな建造物があってたまりますか。ロケ地が本当に京都だったかは分かりませんが、少なくとも鴨川の周りには、いくつか店舗があるようですね。2005年はね。そう、2005年はですよ。ぬぁんなんだあれは。撮影の時間だけ照明を落とせなかったのか。つべこべ言わずに、イヅツさんの言うことを聞いてりゃいいんだよ。
前置きが非常に長くなりましたが、上の件は、どちらかというと「怒り」でなくて「惜しい」という印象ですね。前作「ゲロッパ」はハッキリ言ってつまらなかったのですけど、今回はうまいこと撮れていると思います。だからこそ惜しい、というか悔しい。
もっとも、イヅツさんはどこの国のお方でしたっけと思いをいたす羽目になるのですが、おそらく極端に偏向した思想的な背景があったというわけではないのでしょう。それに、僕はその時代を生きていませんが、かなり左傾化した社会であったのは間違いなさそうです。たしか司馬遼太郎も京都で新聞記者をやっていた頃を述懐して、街中が真っ赤だった、というようなことを書いたはずですし。それに、まだ北朝鮮が楽園と思われていた時代でもありますし。その点、この作品の脚本では、現実がそうではないということを在日朝鮮人たちが認識していたような描写があって興味深いです。
それに、やっぱり「いま」というのが大きいように思いました。きっと10年前だといろいろと配給側から制約がついて、結局は撮影できなくなっていたように思いますし、そこはここのところの「韓流」とやらに助けられています。さらに言うと、当時考えられていた朝鮮統一や社会主義国家建設というテーマが、いまとなっては悲しさをも伴うというのが、仕掛けとしては面白いです。
ストーリーとしては、とにかく喧嘩、喧嘩、喧嘩。主人公は喧嘩しないのに、その周りは喧嘩しかしてない。とくに前半はそうですね。ひたすらガラが悪いので、前半の印象はあまりよくないです。勢いはあるんですけどね。あと、まだ前半は監督を疑ってるところがある。どうしても。
これが後半になると、その勢いを残したまま、喧嘩以外の大きな展開でしんみりとします。この辺はさすがです。難しい役どころが多かったと思うのですが、役者陣がすごくいいですね。着実に世界を創っている。よどみがない。あれはかなり緻密な演出があったに違いありません。日本の映画界にはその「緻密さ」を求める人が少ない気がして寂しいのですが、いやいや、イヅツさんがいましたね。
で、最終的には起承転結キッチリはまった、メリハリのある作品に仕上がっています。伏線もきれいですし。そしてイヅツ節のコネタも出てきます。「ゲロッパ」ではそれをひけらかした感じがあったのですが、今回はさりげなくクスッと笑わせます。血生臭いストーリーのなかにも上品さが漂います。なんだかイヅツさんにうまく丸め込まれた気がします。2時間あっという間です。
上品さと言えば、沢尻エリカが期待以上の名演技をしています。あの、華があるのに控えめで、嫌味のない絶妙さがあるというのは、なかなかできたものではないです。沢尻エリカというとどうしても「問題のない私たち」の悪女を思い出すのですが、まるで違う役を、しっかりと作っていることにしんそこ感心してしまいました。もっといろんな演技を見てみたいです。まさかこんなに期待できるとは思わなかった、というのはちと失礼ですね。
(追記)本日の鑑賞代、映画の日につき1,000円。なぜか本年最高値。