これを映画と言わせる勢いとズルさと正確さ

たいへん遅ればせながら、「僕の彼女を紹介します」を観てきました。
一応、これから見る人のために、というより、もはや映画をDVDでしか見る気のない人のために、細かいことには触れずに書こうとしております。僕は映画評論というものをほとんど読みませんので、誰がどう言ったか知りませんけど、端的に、この作品は評論家受けしないでしょうね。すくなくともマモトなセンスのある人なら、誉めないと思う。それはストーリーを主軸に作品を観ようとしたとき、そのバランスの悪さに辟易してしまうからなんですね。
それから、これを観る客が、「猟奇的な彼女」をすでに予習してあることを前提にしている点で、不親切。いや、厳密に言ってそれは正しくなくて、「猟奇的―」を観たことがなくても十分に楽しめるし、ひょっとすると予告編とかフライヤーとかのチェックでいいのかもしれません。でも、「猟奇的―」では描かれていた前提とか過程とかいうもの(いわゆる「キスまでの距離」ってやつ)が、思いっきりショートカットされてる。それを共有しとけってことだと思いますけど。
まあもともとストーリーなんぞ破綻しちゃってるから、上のようなことは些細なことですね。もう、上映中のどこから観はじめてもそれなりにストーリーを理解できちゃうという、まことにお粗末な筋書きです。
でも、それでもこれを映画として認めさせちゃうだけ要素があるんだなあ。これはすごいことじゃないかと思います。おそらくこの監督は、最初から日本でガッポシ儲けることを考えていて、そうなるように作ってあるし、さらに言えば、儲かることでアメリカのバイヤーに注目されたいと思っている。あざとい。ただいわゆる「韓流」とちょっと違うのは、オバハンを相手にしていないところですかね。あくまでも若い人から外貨を稼ぐのです。
これはストーリー破綻というのとすごく関係があって、「大きな物語」をそこそこにして、伏線を充実させることで、「小さな物語」を量産していく。それを、いままでいろいろ見てきた映画やテレビドラマの要素を総動員して、妄想しながら観てね、というわけだ。いわゆる「萌え要素」ですね。伏線は本当に几帳面に入れてあります。ただ、それだけではやっぱり2時間持たない。その要素と要素をがっちりとつなぎとめるのが、朝鮮民族特有の粘っこさ。この強度は「萌え」でもあると思いますけど、日本で同じことをやったらお笑いになるのに、韓国ではシリアスになれるところがさすが。
映像にしてもそう。まずはチョン・ジヒョンについて書かないといけない。ハッキリ言って、映画を私物化してます。プロモーション・ビデオだべさ。この暴走振りはすごい。ストーリー度外視でそこまでやるかと。かっこかわいいです。なんなんだこの生き物。
でまた、映像がそこにとどまらない。その映像美は絶賛もの。これを書くために、いままでダラダラと文章を書いてきたんだもの。これはCMですかと言わんばかりの、強度の大きな映像がバンバン出てくる。どんだけ大量に予算を持ってたのかと言いたい。資金力が、監督のアイデアの豊富さと見事に結びついてる。ハッキリ言ってCGは怠けてるけど、実写のよさで十分。それに音楽がくっついて、チープにガッツリとむなぐらをつかまれるんだ。
それで思ったのです。ストーリーのことをとやかく言うのは、たしかに映画の感想としては本筋だし、そうすれば決して高く評される作品なんかじゃない。でも、もしもこの作品を観て、「俺も映画を撮りてー」という人がひとりでも多く現れたら、それがこの作品の本当の評価なんじゃないかなあと。そのためには、単に美しさだけじゃダメで、楽しいってことがすごく大切ですね。この作品の映像は、楽しい。
とはいえ、こんな作品は、日本ではなかなか撮れないでしょうなあ。これに潤沢に資金をつぎこめちゃう、韓国映画界の勢いが、実に羨ましい。今年観た数本で、一番「悔しい」映画でした。久々に、負けました。文章がやたらめったら長くなったのは、負けたからです。
(注)鑑賞代、スタンプカードが満杯だったので、0円。