「インストール」という名の"私のすごい方法"

実はここんところしばらく、上戸彩にものすごく魅力を感じておりました。とはいっても彼女が出演したドラマも映画も一切見たことはないのですけど。なんだかものすごく洗練されていて、つくづくいいカラダしてんなあと思うのに、5%ぐらいのもうどうしようもない垢抜けなさがあって、その引っかかりに引き付けられてしまう。彼女の両親は、彼女の年齢のわりにずいぶんお年を召されているそうで、それがすごく珍しいといいますか。昔から芸能人は不遇の子か寺の子と言われておりますけど(うちの母親がよく言う)、そのどちらにも該当しないのかもしれない彼女が、なんだかとっても面白いように思われるのです。
僕には小説を読むという習慣がないもので、この綿矢りさの原作と、映画のストーリーがどこでどうなっているのかについて一切知りません。ただ、こんなに哲学的なお話だったとは知りませんでした。実は哲学のこともよく分からないで書いてます。でも「存在」に関する何がしかの哲学が、このストーリーに染み付いているのでしょう。そして「インストール」という新概念、というか新表現を編み出した点で、綿矢りさって日頃なにを食べて生きてんだろうと思わされます。たぶん。圧倒的な表現力。
おそらく、ナレーション的台詞が多用されているので、余計にそんなことを感じたのでしょう。あれは本文なのでしょうか。なかなかいい演出だったと思います。演出という点では、ちょっとテレビ的だと思わせる雰囲気があるのです。テレビというのはハードがものすごく進化していて、驚くような鮮明さで映像を映し出すのですけど、一方でスクリーンというのは、いくら頑張っても、空気を通ってあの幕に色を映すのでは、繊細さにも限界がある。だからテレビで見て「きれいだな」と思える風景と、映画のそれは違う。この作品も陳腐さが非常にきわどいのですけど、ギリギリセーフかなと。カメラを固定するシーンが意外にも多くて、定点観測の安心感が映画たらしめていたのかもしれません。音響効果は使いすぎかな。せっかくの彼女らの名演技を、ちょっと拾いきれていない。
そう。主要キャストたちの演技がなかなか冴えてる。とくに上戸彩は圧倒的な存在感と繊細な表情と仕草と優しさが渾然一体となって、すばらしく魅力的でした。彼女にあれだけの演技を要求した監督は偉いし、それを受け入れた上戸も偉いし、それを許したオスカーの社長も偉い。みんな偉い。監督はさすがというか、少女を捉える視点が鋭い。伊達に奥さん若くない。その奥さんこと井出薫ですけど、今作で久々に復帰してましたけど、まあその。
そして忘れてはならないのが、神木隆之介タンであります。僕が唯一「萌え」という言葉を用いるのは、彼に対してなのであります。今回も冴えてた。彼はなにゆえ男子なのか。とはいえ、驚くべきことに、上戸彩の演技があんまりよかったために、萌え感度がどうしても下がってしまう。別に構いませんが。あとよかったのは、小島聖かなあ。
鑑賞後に、そういえば「私のすごい方法」っていう歌があったなあと。「すごい」、なんて言うけれど、それは平凡を平凡と受け入れて、平凡と上手に付き合うという意味のすごさで、しかし「こなす」という動作とは相容れない。「すごい」という時点でとてつもなく不器用。その不器用さがいいんだ。「インストール」しても、初期設定のままだから、中身はなんにも変わっちゃいない。でも、「インストール」という不器用な手段は、きっと「すごい方法」なのだ。なかなか優れた青春映画だと思う。どこまで色褪せずに語り継げるか。