みちのく国際ミステリー映画祭、今年は3本勝負

チケット発売直後に入手して以来、ずっと楽しみにしていた映画祭が終わったところです。今年はちょっと頑張って3本を観てきました。なかには前売だけで売切れになる作品もあって、お客さんの要りは上々のようでした。それがなによりです。ゲストもかなり豪華だったし(一部、大物が急にキャンセルするなどしたようですが)、今年も成功だったんじゃないかしら。ただ気になっていたのは、使用する劇場が3館3スクリーンしかなくて、全映画館との協力体制は万全だったのかということ。盛岡で一番大きな興行会社の社長さんが今年の実行委員長で、その方の頑張りを肌で感じられたのは好感が持てましたが。実際、3スクリーン中2スクリーンは彼の会社のものですから。
ともあれ、非常に愉しみまして、上機嫌なのであります。じゃ、3本続けて、感想書きますよ。ただし今回は、公開前の作品や本国初上映作品ばかりですので、ネタバレ一切なしでいきます。そんなことってできるのだろうか。実は日頃、あんまり気にしていないので。

おバカさんの、おバカさんによる、おバカさんのための、愛すべきグムスン

「頑張れグムスン」は、日本初公開の韓国映画。字幕スーパーがフィルムにプリントされていなかったため、映像の横にプロジェクターで文字を入れていました。あんな光景は初めてでしたけど、大きな映画祭ではよくあることなのでしょうね、きっと。
グムスン(ペ・ドゥナ)は夫と赤ちゃんの3人暮らし。平和な家庭に、ある日、夫の大ピンチが訪れ、グムスンが孤軍奮闘します。赤ちゃんを背負って。たった一晩の出来事なのに、グムスンはあまりにピンチが多すぎる。でもグムスンはめげません。夫を救うまでは。
おバカさんなんです。グムスンも、グムスンの夫も、彼をピンチに陥れた人々も、グムスンをピンチに陥れる人々も、あるいはグムスンを助けてくれる人々も。みーんな、おバカ。だから、上の段落を書き直すとですね、おバカさんがおバカさんのせいで、孤軍奮闘しなきゃいけないんですけど、なにせおバカさんだから、猪突猛進、方向性が間違ってても気付きません。夫をピンチに陥れた人もおバカさんだから、思惑どおりにストーリーが進まない。でまた、このおバカさんたちの暴走に巻き込まれちゃうおバカさんがいて、これもまたおバカだから、勝手におバカな発想で暴走を始めちゃう。そのおバカのオンパレードのまま、ドキドキのクライマックスに突入するわけです。もうほんとにドキドキですよ。
作品そのものの出来の良さは、決して絶賛するほどでもないです。かなり陳腐な雰囲気があります。でも、それは作品にとって必要な要素です。なんだかチープだけど、いろんな映像技術を駆使しているし、ドタバタの勢いやテンポの良さは抜群です。いや、ドタバタが開始されるより前の時点で、すでにさんざん笑かされます。
それもこれも、やっぱりペ・ドゥナの活躍が大きいわけです。これまで僕は、彼女にはもっといろんな役柄をしてほしいと、いままでとはまったく違うキャラクターの人物も演じてみてほしいと思っていたのですが、ひょっとすると発想はまったく逆であるべきじゃないかと思うようになりました。つまり、ペ・ドゥナという存在そのものがスクリーンを作り上げている部分がとても多くて、観る側はそれをとても楽しみにしている。その、いわば「ペ・ドゥナ劇場」をもっとたくさん作るのがいいんじゃないかと。
この作品は実際にはちょっと古いのですけど、そんなことを思うぐらいに、ペ・ドゥナが圧倒的に強力で、圧倒的にズボラで、圧倒的に魅力的でした。
さて、僕にとっては、この盛岡でペ・ドゥナの舞台挨拶を見られるというのは夢のようなことで、ただれそれだけのためにいち早く前売り券を手に入れたようなものでした。実際に登場したペ・ドゥナは、意外と背が高くて驚きました。170cmぐらいはあるんでしょうか。インタビュアーとは頭ひとつ分ぐらい違いました。スクリーンでは一度も観たことがないような、淡いピンクのかわいらしい衣装で登場したのですが、戸惑っているのか緊張しているのか、ちょっと落ち着きのない感じが、スクリーンなかの彼女を彷彿とさせました。でもとっても人のいい雰囲気があって、前列に熱狂的な韓国エンタメのファンがいると、その人が持ってきた雑誌を見て驚いたり、それを持って撮影に応じたり、あるいはサインに応じたりと、ちょっと見ないようなファンサービスが飛び出して、お客のこっちがハラハラしました。あの人は大スターなんですよ、知ってますか皆さん、みたいな。かわいかったです。
ちなみに、「リンダ リンダ リンダ」に関してインタビュアーが言うことには、昨年の同映画祭で上映された「ほえる犬は噛まない」を、「ばかのハコ船」が出品されたために盛岡に来ていた山下敦弘監督が観て、オファーを決めたのだそうです。それ、どっちも観ましたよ。というか、あの場に山下監督がいたんですか。あとペ・ドゥナは、ポン・ジュノ監督の最新作に出演しているそうです。

日本家屋にはスタンダードサイズ、内に秘めた熱を感じる「犬猫

井口奈己監督*1の、なんと言えばいいのか、劇場公開用初監督作品(腑に落ちない)は、8mm映画「犬猫」のリメイク版。ちなみに僕は、もとの作品を観たことがないです。だから比較は出来ません。今作は、榎本加奈子藤田陽子ダブルキャストで、ほかに西島秀俊忍成修吾小池栄子らが出演しています。
ひょんなことでふたり暮しすることになったヨーコ(榎本)とスズ(藤田)の、ゆっくりと静かながらも、心のなかの、なんだか得体の知れない大きなものがゆすらゆすらと動き続ける、日常を描いています。
とにかく見始めた瞬間に第一印象で誰もが思うのは、小津映画でしょう。たぶん。あの、カラーになったあとの小津の作品のスタッフロールを髣髴とさせる、というかまんまの映像が飛び込んできます。この点に関して監督からはコメントがなかったのですが、どう考えても意識してます。実際、作品中も、一部を除けばカメラは固定したまんま。同じ景色の、電車のある風景が登場したり、台所の風景があったり。ただ、小津は長回しをしませんでしたね。この辺のことについて監督は、編集技術がまだあまりないし、カメラを動かすとはどういうことかを分かっていない、とコメントされました。ただね、僕はそれを謙遜だと思っていて、本当は内に秘めた何かがあるんだと信じています。
固定されたカメラというのは、景色が限定されてしまうから、演出もそれに合わせた独特なものが必要になってくるのかもしれない(あくまで推測)のだけれど、そんな変わらない風景が、なんと人を安心させることかと思います。たとえば同映画祭同コンペに出品されている「ジャンプ」は、手持ちカメラをグラグラさせながら撮影されたシーンがあって、あれは決して観る側をよい気分にはさせません。もちろんそれが登場人物の心情を表現している場合もあるのだけれど、井口監督の場合、そのゆったりとしたテンポをフィルムに反映させるとき、やっぱり景色は動かないほうがいいような気がします。その意味で、とても成功しています。
また監督は演出に関して、「気合を抜け」としか言っていないと、これまた控えめなのですが、役者たちの演技を僕はとても素晴らしかったと思います。榎本加奈子の演技をまともに見たのはこれが初めてでしたが、うっかり榎本をあんな(言わないけど)性格だと勘違いしそうになります。あるいは藤田陽子の演技に関しては、「犬と歩けば」の引きこもりの女の子や、CMで見るようなかっこいい女性のイメージとはまったく違うキャラクターを作り出していて、その化け具合にひっくり返りそうになります。さらに、西島秀俊がまた、渋い演技をするわけです。本当にこの人は、かっこよくすればいくらでもかっこよくなるし、ダメ人間をやらせればいくらでもそうなっていく。今回は後者でして、もう体臭が出てきそうなほどのダメっぷりを披露してくれています。
それもこれも、とくに女性の演出や脚本に関しては、監督の鋭さにポイントがあるようです。舞台挨拶の際にインタビュアー(女性)が感想として、ちょっとした行動で女性の心情を見事に描いていると述べておられて、確かにこの作品はちょっとした行動の連続なのだけれど、さすがにこれは男性には分からないなあと感じましたね。監督が女性で、主演も女性で、その他キャストも女性がとても多くて、インタビュアーも女性。これはもう、女性の、女性による、女性のための映画なのかもしれません。そういう作品って、あるようでないのかもしれませんよね。
この監督、内に秘めた熱のある人だと感じました。でもそれを外に出さないみたいなので、うっかりしていると、男性は見逃すようです。いや、うっかりしなくても見逃しそうです。とはいえ、男性にとっては、とてもゆったりとしたテンポの、のほほんとした作品として楽しんで観られそうです。女性はどうなのかなあ、鑑賞しながら、感情移入しちゃって心中穏やかでないのかなあ。次回作に大いに期待できます。
(追記)感想のタイトルの件を書き漏らしてました。この作品、僕は鑑賞中にうっかりしていたのですが、「スタンダードサイズ」という画面サイズで編集されています。ビスタサイズよりも横が短いサイズです。この件に関して客席から質問が出まして、監督は、ビスタサイズで日本家屋を撮影するには、カメラを引いて撮ったり、壁を壊したりしないとならない。日本家屋を撮るにはスタンダードサイズだとこだわったと説明されました。そう、屋内のシーンのあの目線の高さ。あれを効果的に撮影したかったのでしょう。そこに並々ならぬ熱を感じたのでした。

竹中クンの青春は続くよどこまでも

竹中直人監督・主演の最新作は「サヨナラCOLOR」。スーパー・バター・ドッグの同名楽曲からヒントを得て作成されたといわれており、主題歌(リテイクされている)にもなっています。東京から離れた海沿いの街にある病院の外科医・佐々木(竹中)のもとに、高校時代の同級生(原田知世)が入院します。佐々木はかつて彼女に思いを寄せていたというのに彼女は。ところでこのタイトルにある、サヨナラの色はどんな色だろう。それはラストにならないと気付かない。だから僕は言わない。最後に流れる主題歌が、観客である僕らに語りかけているようでした。
僕が作品を観ながらとにかく感じたことは、僕自身が、竹中映画からしばし離れていたのだということ。あの独特の作風(芸風というか)に、強烈な懐かしさがありました。シーンのひとつひとつ、ああこれこれ、と一歩ずつ確かめながら鑑賞している気分でした。とはいえ、僕は竹中映画をさほどたくさん観たわけではありません。確実に記憶にあるのは「東京日和」と「連弾」だけです。それでも生意気にも、今作のことをひと言で言うと、その2作品の文芸的要素とギャグセンスを、足して2で割らない感じです。さらに生意気にも言わせていただければ、竹中映画の最高傑作ができたんじゃないかという気がしています。僕が今年観た作品のなかでも指折りの名作です。
とにかくですね、これは「竹中クン」(敢えてそう呼ぶ)の青春映画なんです。もちろんバリバリのフィクションなんですけど。でも、竹中クンの青春時代の思いや、いまの竹中クンの新しい青春を、とっても瑞々しく描ききっているのです。きっと彼は、あんなにかわいい知世ちゃん(敢えてそう呼ばせろ)にかわいいことをさせて、それで喜んでいるのです。実際、知世ちゃんのかわゆさがあまりにもすばらしくて、単純に目を奪われました。いまでも十分アイドルですよ。うん、竹中クンにとっての知世ちゃんは、アイドルでマドンナだったんです。たぶん。でもちっともノスタルジックじゃない。そこがいいんです。
竹中クンの、竹中クンによる、竹中クンのための映画。それを僕たちが観て楽しむ。竹中映画の醍醐味って、そこに尽きるんじゃないかしら。そこには僕たちと竹中クンとの間に強固な信頼関係が必要なのだけれど、それを可能にしているのは、ゆっくりとした空気感、"間"、ギャグやコミカルな言い回し、カットの構図、音楽、あるいは一発芸的に登場する脇役たち。さらにさらに、それらを作り出せるのは、ひとえに竹中クンが無類の映画好きだからで、そのことがスクリーンに滲み出ている。で、それを感じ取ることで、なおいっそう竹中映画を好きになれる。僕はこの作品を絶賛したいと思う。
ついでのようで悪いのだけれど、とにかく注目すべき脇役が多すぎます。誰とは言いませんが、意外で、贅沢です。あ、でもひとりだけ。どうして僕は、1日に2度も井口昇をスクリーンで目撃してしまったのか(もう1作は「犬猫」)。頭デカ過ぎ! しばらくは呪縛のように脳内に残り続けるようです。
(追記)竹中監督の舞台挨拶のことを書き忘れていました。監督は、スクリーンやお茶の間のイメージそのままの、お茶目な人でした。ものすごくシャイな方なんだと思います。でも、笑顔で怒ったり、感情を込めて「あいうえお」を言ったりしてくれました。いや、映画の素晴らしい裏話も聞けたのですよ。観客みんなで「おーっ」と言うような。でも素晴らしすぎて、ここには書けません。とにかく、京都から盛岡まですっ飛んできてくれたそうで(オファーの時点から盛岡を気にしてくれていたよう)、その熱意に惚れ惚れいたしました。

*1:はてなidを持っていることをいま知って驚いた。トラバ回避のため、オンナコドモフィルムズから進むといいです。