ロボロボ(あくまで「2046」の感想を書こうとしている)

ロボットだって恋くらい知ってて当然だと辻ちゃん加護ちゃんは言うけれど、王家衛監督もなんかそんな感じみたいです。木村拓哉フェイ・ウォンロボキッスはけっこうディープです。ロボロボ。
そろそろ、僕が本当に映画を観てきたのか疑い始める段階だと思いますけど、さすがに観ないで文章を書くことはしません。ただ、とくに感想がないんです。映像に関してはとてもきれいでスマートで、安心して観ていられますし、役者の演技力もとてもよかったのだと思います。たぶん木村拓哉のあの役柄は、ほかの人でなんとかしたい衝動に駆られながらも、ほかの人ではなんともならない役どころだったんじゃないかと思います。もしも本当に日本人が必要だったのなら、という前提つきで(商業的理由も可)。このあいだも書きましたが、外国人監督が日本語の演技を作る際には、優秀な日本人のキャストやスタッフがいて、彼らによる禁止則が発動しないといけないと思うのですが、今回に限っては、そんなもんはどうでもいいような気がします。
僕がこの作品を寝ずにしっかりと観ていられたのは、上のような理由もありますし、チャン・ツィイーフェイ・ウォンがかあいかったというのもとても大きいのですが、主人公(トニー・レオン)の物書きに、ほんのりとへタレの匂いを嗅ぎとれたからなのでありましょう。主人公はすんばらしくダンディーでして、モテモテで、才能に溢れております。なぜかお金をたくさん持っていて、とっても遊び上手です。ですけど、作品の終盤になるにつれて、そのかっこよさに少しずつ違和感を得るようになります。僕みたいなへタレから言わせていただくと、あの方も一種のへタレです。なんで誰かとうまいことくっついてチャンチャンで終われないんだよぉ、フィクションのくせにぃ、などとイライラを募らせる結果となったのでした。
あの、念を押しますけど、大枠の「作り」というのは大変すばらしくて、映像美(セットや小道具、演出やCGなどを含めて)に関しては、まったく遜色なかったと思います。だから、登場人物の心情をよく理解しようと努力しなくとも、目くるめく愛と火遊びの世界を見て、堪能できればそれで十分なのかもしれません。僕がそう思うのはきっと、各所で指摘されていた、同監督のナンチャラとかカンチャラとかいう作品を予習してから観るべしという鉄則を破ったからなのだと信じています。ちなみに僕は、同監督の作品を初めて観ました。もっとも、予習をしたら「2046」を観なかったかもしれません。その意味では、予習しなくて正解だったのかもしれませんし、なにごとも縁ですね。主人公もそう言ってました。
そんなわけで、端から真っ当な感想を書くことを諦めていることがよくお分かりになったと思います。でももう限界です。ボロボロ。