「華氏911」は商業映画。ただし、命がけ。

いま調べてみたら、僕はかれこれひと月近くも映画館に行っていませんでした。記念すべき今月1本目にして今年50本目は、「華氏911」。言わずと知れた、パルムドールを獲得したマイケル・ムーアの最新作です。
この作品を取り巻く周囲の声はさまざまありますね。プロパガンダだといって非難する声もあるし、そうは言わないまでも、共和党に不利で民主党に有利な政治的な映像だとか、いやそうじゃなくてあくまでただの映画なんだとか。僕はそんな意見のひとつひとつに目を通したわけではないしその気もないので、必要なときはid:TomoMachiさんの日記を頼るといいと思います。
僕が鑑賞したかぎりの実際のところはですね、結論から言えば商業映画なんだと思いますよ。もしも「商業映画」「ドキュメンタリー映画」「記録映画」といった言葉に定義があるのなら、多少は結論も変わりましょうが、ここは消去法的感覚でいきます。
記録映画とかドキュメンタリーといったものは、とにかく事実に忠実であることが大前提でしょう。編集技術は二の次で(もちろん技術も大事ですが)。まず、事実を分かりやすく情報提供して、どう思うかについては観る側に委ねてしまえばいいはずです。上手に事実を並べていけば、観る側の意見も(あるいは議論の焦点が)自ずと収斂されていくと思うのです。
その点で今回、ムーアはちょっと無理をしたように感じました。つまり、記録映画としては脚色しなくてもいいようなところを脚色している。たとえばブッシュ現大統領の心中を想像するナレーションは、ストーリー構成からすると必然だったかもしれないけれど、想像は想像でしかないわけだから、そこは観る側に任せるべきでした。テーマのスケールが大きいわりに2時間で上手くまとめないといけないので、非常に苦労したと思います。それが証拠に、ドキュメンタリーとしては「ボウリング・フォー・コロンバイン」のほうが秀作です。思うに。
そんなわけで、記録映画やドキュメンタリー映画と呼ぶのはやめようと思うわけです。すると、やっぱり商業映画なんだなと。ノンフィクションのね。だとすると、秀作といえなくとも佳作ではあると思います。上にも書きましたけど、膨大な資料と散在するテーマの点と点をつなぐ作業は、凄まじいものだったと思います。ものすごいエネルギーとバイタリティのもとに作られてます。セットを組めるなら組みたかったかもしれないし、映像に映る人びとが契約されたエキストラだったらどんなにか楽だと思ったかもしれない。それに、命がけです。自分の住んでる国の大統領をケチョンケチョンにする作品ですからね。まともな思考回路を持っていれば彼が内乱を企んでいるはずがないと分かるのですが、あの作品を見るかぎりでは、まともな思考回路を持った役人がどれほどいるか怪しいし。
たぶん、タランティーノはその空気を読んだのでしょう。こいつ、ここで世界中に晒しておかないと、死ぬんじゃねーの、と。あくまで僕の妄想ですけど、そんな理由でパルムドールを与えたんじゃないでしょうかね。さらに、初めからこのシナリオのために、タランティーノを審査委員長に任命していたりして。もしもムーアが次回作の公開まで生きていられたら、それは映画クリエイターたちの総力を挙げたバックアップのお陰かもしれません。
最後に。この作品、英語の分かる人に向けて作られていますので、字幕を追って、なおかつ映像を観ようとすると、ものすごく疲れます。情報がハレーションで飛び込んできますので、日頃から政治に意識的でない人は、鑑賞後にボーっとしちゃうみたいです。とにかく、ブッシュという人がいかに大統領不適格者であるかということと、アメリカ社会には大きな矛盾があって、日本もいずれその構図にはまりかねないということ。これさえ抑えておけば、あとは笑って泣けばいいと思いますよ。