「子猫をお願い」は爽やかすぎるがゆえの毒物

久しぶりに、どう感想を書いたらいいのかさっぱり分からない作品に出くわしました。いま、非常に困ってます。じゃあ何も書かなきゃいいかといえば、なんとなくそういうわけにもいかない。
舞台はソウル近郊の都市、インチョン。そこの商業高校を卒業した5人の女性の「その後」を描きます。とくに学生時代の回想シーンもないのですが、やはりこれは「その後」という表現が適当のようです。彼女たちは卒業後、ある者は就職し、またある者はぶらりとし、家族とのすれ違いがあったり、家族がいなかったり。誰もがなんだかんだで社会になじめずにいて、結局、いつもの仲間と不毛にじゃれあって過ごしています。途中に登場する予備校生の男性も含めた彼女らが、本当にいまの韓国社会を忠実に描いているとしたら、どうやら韓国は、総中産階級化を経ることなしに成熟近代に突入してしまっているようです。そこに日本と違った複雑さがあって、日本人にはちょっと馴染みにくい風景に見えます。
ただ、学校を出ても職にありつかず(努力すればできるのに)、適当にブラブラとし、親のスネをかじって、とくにやりたいこともなく、受動的な姿は、日本でも見られるような生々しさと痛々しさとを持ち合わせています。あるいは、高卒で一流企業に就職して必死にキャリアウーマンになろうとしたばかりに身を滅ぼさんとする姿もまた然り。そして彼女たちは、スクリーンのなかで、なにひとつ明るい展望を見出すこともなく、終映してしまいました。荷造りして家を飛び出して、どこかに行けば何かあると思っていても、結局何もあるはずがないのに。
そんな彼女たちの心の葛藤は、とてもよく描かれていました。タイプライターや携帯電話を通じて行われるメッセージのやり取りへの工夫は、とても印象的です。それから、食事を通しても、彼女たちの心理を窺えそうです。家族との食事の時間に遅れて帰宅して、叱られると食事も摂らずに部屋に籠もる場面や、友人と喫茶する夜のドーナツ店、約束の時間にレストランで待ちぼうけしたり、あるいは1時間以上も遅れてそのレストランにやって来たら、もう友人はいなかったり。あるいは初めて訪れてくれた友人のために家人が餅を勧めまくり、それに応じて断ることができずに大食いしたり。それらの食の風景には一様に負の雰囲気が漂います。
その一方で、彼女たちだけの飲み会の席は大盛り上がりです。シャンパンをぶちまけたり、一気飲みしたり、トッポギにまつわるコミカルな逸話も登場します。彼女たちは彼女たちの空間でしか生きていない。もう高校を卒業したのに。でも、心の中ではまだ卒業なんかしていないのです。
なんだか痛々しいです。その痛々しさを、実に爽やかに見せてくれるので、後日になってじわじわとざらつきが見えてきます。その作品はかなりの毒物です。いっそ、劇場のなかで僕の胸を締め付けてくれたほうがよっぽど親切です。いまだに、この作品の消化できない何かに腕を引っ張られているような、そんな思いがしています。