「殺人の追憶」の世界観に賛辞を

うちのアンテナもかなり回復してきました。昨晩、ここが更新直後に上がってこなかったことを除けば。スタッフの尽力には感謝しております。
さて、出発まであまり時間がないので、あまり考えないで書きます。たしかポン・ジュノ監督はこれが劇場公開2作目だったはずです。前作は「ほえる犬は噛まない」。昨秋、盛岡に舞台挨拶に来ていた頃、ちょうど「殺人の追憶」が韓国で大ブームになっていたようです。そのときの話によると、韓国人の7人に1人が観たんだとか。
この作品は、実際に韓国で起こった連続殺人事件を映画化したもので、どこまでが事実でフィクションかはよく分かりませんが、ノンフィクションならではの重厚感に圧倒されました。科学技術やマニュアルが発達した現代では考えられないような、ただひたすらに体力勝負で、自白中心の捜査を延々と繰り返し、犯人を作り上げようとするも、寸でのところで失敗する。現代に生きる我々には滑稽としか思えないような行動の数々も、当時は笑えない常識だったわけですね。30年から40年前の日本と似たような状況と言えないでもないでしょう。
犯人は犯行を繰り返す。まったく同じ状況下で、まったく同じ手口で。手がかりは見つからないか、見つかってもやがて失ってしまうかのどちらか。捜査班はいよいよ狂いだす。その情景の描き方は、実に見事。どこまでもどこまでも重苦しく、刑事と一緒にこっちも狂いそうになります。結局、犯人は見つからず、どんよりしたまま作品は終わります。
とにかく、あらゆる面でよくできた作品です。ストーリーはノンフィクションですから、最後まで犯人の手がかりがほとんどないというのは、エンタテインメントに欠くとは思います。ただ、それが事実であるということが、観る側をいっそう苦しめます。ソン・ガンホキム・サンギョンほかキャストの好演、熱演、カットの割り方、音楽、小道具の数々(とくに腐敗した死体)。そう、観客を苦しめたところで、この作品は成功しているし、苦しめられたら、僕たちは観る側として成功したことになる。
ラストシーンは舞台を2003年に移す。あの時と変わらない麦畑と青い空。犯人は、いまだすぐ傍にいる。この「殺人の追憶」こそ最大のもどかしさ。この監督は、本当にこれが2作目なのか。えらい才能の持ち主です。
なんだか、感想なのか、粗筋を書いただけなのかよく分かりませんね。もう時間がないので、修正はしません。あ、ネタバレしちゃったらごめんあそばせ。