そうだ、ロシアに行こう その2

航空券の代金の支払期限は、あまりに短かった。とにかく、およそ10万円を、名も知らぬ旅行会社に振り込まなければならなかった。振り込めば、チケットは手に入る。いままでの旅行であれば、それでほとんどの準備は整ったに等しいのだけれど、ロシアは違っていた。
言うまでもないが、ロシアはかつて、ソ連という共産国家の一部を為していた。あれだけ広大な農奴の地を統制するには共産主義しかなかったのではないか、と述べたのは司馬遼太郎だったと思うが、徹底した管理社会の名残が、ロシアが観光に適さない土地であることを如実に証明していた。
旅行書によると、ロシアに観光で渡航するには、1.ビザと、2.招待状(バウチャー)と、3.宿泊の証明書が必要である。ビザは大使館でもらうものである。そこまでは理解できる。しかし、招待状とはなにか。国内でさえ誰かに招待される経験に乏しい僕が、ましてや外国から招待されるいわれもゆかりもない。しかしこれがないと渡航することが出来ない。渡航できなければ、航空券代10万円がどぶに流れてしまう。ある資料によれば、かつてソ連は、外国から渡航してくるすべての人間をスパイとみなしていたため、受け入れ者のいない者を国内に入れなかったのだそうだ。
かくして僕もスパイとみなされるべく、バウチャーを入手することにした。インターネットで入手方法を見たのだが、どのサイトも少しずつ書いてある内容が違う。さすがに本家、ロシア大使館のサイトなら本当のことが書いてあるだろうと思ったが、詳しい入手方法がさっぱり分からない。それはつまり、個人でそんなものを取得しようとする人なんて滅多にいない、ということを意味していた。
旅行社なら入手方法を知っているはずだ。航空券を購入した会社にメールで問い合わせてみた。すると素敵な答えが返ってきた。「ホテルならうちのサイト内でも予約できます」。1泊1万円のバーやジムやプールが備わっているホテルを予約する機能ならある。それ以上のことは、ないらしい。僕はいったいどこを旅行する準備をしているのだろう。すでにロシアが先進国だという妄想は完全に消えていた。
名著『地球の歩き方』に、一縷の望みが記されていた。ロシアにはホステルがあって、予約すればバウチャーを発行してくれる、と。ただし日本語で交渉できないのでお奨めできないとも書いてあった。これしかない。さっそく、英語のサイトでホステルを検索したら、思いのほかたくさんあることが分かった。相部屋だが、それなりに手ごろな価格で宿泊できそうである。
そのなかから、交通の便のよいところを探した。はじめに見たポータルサイトには地図がなかったのでまったく分からなかったのだが、そのうちグーグルマップが貼り付けてあるサイトを発見し、旅行書を片手になんとなく便利そうなところに決めた。便利な時代になった。ほんの少し前なら、この時点でほぼ旅行をあきらめていたところだ。
安息はつかの間だった。そのサイトにはバウチャーに関する情報がない。なんとかホステルとコンタクトを取りたいのだが、メールアドレスがない。こうなったらポータルサイトをあきらめて、ホステルの公式サイトを探すほかない。苦心の末、ロシア語しかないホステルのサイトにたどりついた。翻訳サイトでロシア語を英語にして、さらに日本語にしながら情報を入手した。が、そのサイトにはバウチャーに関する情報がない。どうにか英語でメールを送ってみた。数日待っても返事はなかった。
仕方なく、別のホステルで、上記とまったく同じことをして、メールの返事を待った。しかしメールは来ない。と思ったら、迷惑メールのフォルダに収まっていた。最初のホステルはそれでも返事が見つからなかった。