そうだ、ロシアに行こう その1

話は昨年にさかのぼる。僕が勤めている会社は、いやどこもそうなのかもしれないが、年末がいちばん忙しい。加えて営業日数の数え方が変わったので、今回の年末年始は、暦どおりの休みなら帰省してもとんぼ返りにしかならない。それで、飛行機のチケットを買わないでいた。ところが、それなりの日数の休みをきちんと取るようにという上司のお達しが出て、棚ぼたとは言わないまでも、まとまった休みが眼前に出現した。12月上旬のことだった。
いまから帰省のチケットを入手すればほぼ正規料金。夜行列車を使うほどのんびりも出来ない。両親には悪いが、数年ぶりに帰省を取りやめて、せっかくだからいままで行ったことのないところに出かけてみるか。それも土日の休みなどではとても行けないところに。たとえば、海外に。
そこまでは簡単に思いついたものの、ではどこに行きたいのかという段になって、自分には強烈に引き寄せられるような土地がないことに気付いた。というより、海外に出かけるという発想をまるでしてこなかったので、どんな根拠でどんなところに行けばいいのか、見当がつかなかった。わざわざ海外に行って、なにを見たいのか。
やがて、ひとつだけ引っかかるものを見つけた。
それは2005年の春。大学院の卒業旅行でヨーロッパを旅したときのこと。美術館が好きな僕にとって、パリのルーブルマドリッドのプラドなど、たいへん充実したときを過ごすことが出来た。そういえばそのときのガイドにはこう書いてあった。ルーブルとプラドは、世界三大美術館に数えられている、と。
もうひとつはどこだ。そう、そのもうひとつこそ、今回のたびの目的地となろう。それはエルミタージュだった。場所はサンクトペテルブルク。ロシア第二の都市である。
ロシア。僕がテレビではじめて知ったその土地の売店には、食料がなかった。デモに出かけた市民が指導者の悪口を言い合い、街中に戦車があった。やがて本で読んだその土地にはシベリア鉄道という長距離列車があって、そこでは黒パンと魚の油漬けが供されていた。タイガとツンドラの地であった。最近はKGB出身の指導者の偏向的な政治のせいで民主主義が歪み、しかし一方で成金が多く現れたらしい。
僕の父親は南樺太で生まれた。2歳で引き上げ船に乗ったので、なにも覚えていないという。あるいは死んだ母方の祖父も南樺太に本籍を置いたことがあるらしく、死亡届に在留した証明書を添付する必要があり、それは外務省の外地担当しか発行しないので、両親は苦労していた。どうしてそんな土地に世界三大美術館があるのだろうと悔やまぬでもなかったが、知人や会社の同僚の誰も行ったことがない、行こうとも思わない魅惑の土地でもあった。そうだ、ロシアに行こう。
チケット探しは困難を極めた。探し始めるのが遅すぎたせいで、容易に空席が見つからない。だが出来るだけパッケージツアーを希望していた。というのも、旅行書によるとホテル代がどんなところでも1万円するらしい。そしてそれらの施設にはたいてい、バーやジムやプールが備わっているらしい。日本でもそんなホテルには泊まったことがないのに、それしかない都市というのは狂っている。僕にはバーもジムもプールも要らないが、それしかないのであれば、せめてパッケージツアーで宿泊費を抑えるほかない。
しかしパッケージはひとつも空席がなかった。かわりにひとつだけ、航空券のみのプランを出してきた旅行会社があった。おそらくこれを逃したら、僕は二度とロシアに行くことはない。海外を断念して北陸で越前かにを食べるのもいいが、いやここはロシアだろう。後先考えず、とにかくチケットだけ入手することにした。それは度重なる困難の、ちょっとした始まりに過ぎなかった。