そうだ、ロシアに行こう その3

ロシア人イゴールは、英語でバウチャーの入手方法について丁寧に解説してくれた。とにかく、そのホステルを予約し、30ユーロを送金してくれたら、提携している旅行会社に頼んで発行してあげる、とのことだった。まずホステルを予約した。そのうえで送金について調べた。郵便局は多くの国への送金を受け付けている。しかしよりによってロシアは対象外だった。ちなみにイゴールが指定した口座はラトビアのものだったが、同じく無理だった。イゴールは、ウエスタンユニオンを使えと言った。耳慣れない言葉だが、調べると、海外送金を扱うアメリカの会社で、スルガ銀行の東京支店が日本での運営を取り仕切っているという。
会社に頼んで半休をもらい、日本橋のウエスタンユニオンに出かけた。日本人は僕を含めて二人しかいなかった。ここで、受取人の住所と名前と金額(米ドル換算)、それに目的を記入してお金を払えばそれでおしまい。住所は都市名があればよい。大雑把すぎるが、住所もないようなスラムにも送金できるように出来ているのだろう。目的については受付のおばさんに注意を受けた。つまり、会ったことのない人とメールだけでやり取りしているのだから、騙されても保障はしませんと。文句を言いません、という趣旨のサインをしたら、受け付けてくれた。受付には、スルガ銀行での業務を2009年1月で終わります、とあった。つくづくギリギリの旅行をしている。
イゴールはFAXでバウチャーを送ってくれた。自宅は、親元を含めてFAXがまったくないので、こっそり会社に送ってもらった。一発で届かずに冷や冷やしたが、このころには、むしろ正常にことが運ぶほうに違和感を覚え始めていた。送ってもらって初めて分かったのだが、バウチャーと宿泊の証明書は同時に発行されるものらしい。というより、どちらがバウチャーと呼ばれるものなのか、よく分からなくなってしまった。でもかまわない。これでビザを取る準備が整ったのだから。
だんだん暢気に構えていられるようになったかに見えるが、実際のところはタイムトライアルをやっていた。当たり前だが、ビザは即日発行されるものではない。ロシアの場合、通常は無料で発行してくれるが、その代わり、2週間ほどかかる。もっと早くほしいときはお金を払えばしてくれる。早くするときとしないときで、仕事にどんな違いがあるのかさっぱり分からない。郵便なら分かりやすいのだけれど。そもそも日本で受け付けた情報をどうやって本国の外務省に照会しているのだろう。まあよい。
ロシア大使館の年内受付は12月29日。いちばん忙しい時期に、唯一休みを取れるのが22日。ちょっと寝坊して、なんとか神谷町に着いたはいいが、頭に思い描いた地図は狂っていて、どこを歩いても大使館につかない。警備に当たる警察ならそこらじゅうに立っているのに。うっかり東京タワーの下まで来てしまった。工事現場の警備員に訪ねてようやくたどりついたら、もう正午だった。旅行書には受付は午前中と書いてあったのであきらめかけたが、12時半まで窓口が開いていた。
てっきり駐日大使館には日本人がいるものと思っていた。少なくとも窓口で相談に乗ってくれる日本人が。しかし、その期待は安直だった。ほんの片言しか出来ないロシア人が、「イツホシイ?」と尋ねてくる。「今年中に」という日本語を聞き取ってくれない。具体的な日付を言わないと受理してくれそうになかったので、29日を指定して帰ってきた。とりあえず書類は揃っていた、ということでいいのだろうか。5,000円を支払った。
ビザを受け取るまでの1週間は、ようやく手続き以外の準備に充てることが出来た。ロシア語を少しぐらい学んでおこうと思った。1から10まで数えられない人はロシアに行ってはならないと、あるブログに書かれていた。沢木耕太郎も言葉の通じない国では、子供を掴まえて数え方を習得していた。しかし、西ヨーロッパの言語とほとんど共通項が見当たらず、しかも一語がやたらと長い。結局、数字は3まで。あとは水とビールとお茶とコーヒー。「ください」と「ありがとう」。ほかは断念した。「こんにちは」さえ覚えられなかった。
1週間後。あとになって上司から「こんな時期に取りやがって」といわれる羽目になったが、必死の懇願で半休をもらい、大使館に出かけた。最終日だからか、窓口は閑散としていた。職員もいなかった。もっとも職員はしばらくすると出てきてくれて、僕をジェスチャーで呼びつけた。僕と職員のあいだで会話は一切なかった。とりあえず1週間前に受け取ったレシートを渡したら、しばらく考えたあとで、近くの棚から僕のパスポートを取り出して、投げるように僕に渡したら、またどこかへ消えてしまった。
海外旅行に慣れていないせいなのだろうが、ぽんとパスポートを渡されると、ビザがどこにあるのか分からないものだ。ビザをもらえたかどうかも分からないし、そのパスポートを受け取って、帰っていいのかどうかも分からなかった。ビザがパスポートに貼り付けてあることが分かるのにしばらくの時間がかかった。中国がまだ観光ビザを必要としていたころ、団体ビザだったせいか、パスポートに添付されていなかったので、今回もそのつもりでいたのだった。かくして、すべての書類は整った。
あ、忘れていた。ひとつ大事なものがまだ届いていない。航空券だ。イーチケットとやらで、テキストファイルを印刷していけば空港のカウンターで発行してくれることになっていたが、そのメールが旅行社から来ていなかった。問い合わせたら、すぐにメールをくれた。ということは、送信するのを忘れていたんじゃないか。あの会社は不安で、あの国の旅行には向いていない。いや、向いている会社があるのかどうかよく分からないけれど。
フライトは元日。次の更新からは、実際に現時で書いたノートの中身だが、あまりにプライベートで公開するのに危険な文章は取り除くので、前後で多少の違和感が生じてもご勘弁いただきたい。その代わり、ピンボケを含めて撮りためた600枚の写真をふんだんに取り込んでいくので。