渇きとそれを包み込む音楽 『幸福 Shiawase』

北海道、勇払。疲れ果てた男(石橋凌)は駅に降り立ち、やがて公園で倒れた。女(桜井明美)はそれを見つけ、勤めている場末のスナックに連れて行く。勤めが終わると女は男を部屋へ連れて行き、泊める。行きずりのふたりは、そのまま共同生活をはじめる。お互いに、少なくとも女は男に、同じなにかを嗅ぎ取ってのことだった。
久しぶりの感想は、小林政広監督作品で。2006年の東京フィルメックス出品だから、2年もお蔵に入っていたわけか。ほか村上淳柄本明香川照之というキャスティングながら、劇場公開できないというのは厳しい。映画界の景気がいい分、質はいいのに数字を取ってこれない作品が眠っているということを、ファンも自覚せねばなるまい。
監督は勇払で何本の作品を撮ったのだろうか。少なくとも僕自身はこれで3本目である。だだっ広い空と、使い道がなくて持て余した土地、味も素っ気もない建物。スクリーンを通して「渇き」が強烈に伝えられる。作品が渇いているのではない。渇いた心情を表現するのにあまりに的確な土地なのである。住んでいる方々には申し訳ないが。
わけありの男女の交わりという点では『愛の予感』と共通しているが、あちらは主演が監督自身だったこと、とにかく退屈な生活を繰り返し続けるストイックなストーリーだった。それに対して今作は、演者がつくる空気もまたストーリーの一部として存在している。個性的なベテランを集めたせいか、映像のなかの演者の振る舞いは背景から浮きかけている。器用な演技で観る者を唸らせる作品ではないのである。
しかし、言葉を発しない荒んだ表情の石橋凌にはぐっときた。公園で倒れる直前、食パンを喉に詰まらせながら食べる様子が、たまらなくいい。語らずして男の過去が透けて見えてくるようである。そしてたびたび流れる音楽がすばらしい。タイトルバックで流れる曲を聴いたとき、一瞬でこの作品を選んだ幸福に包まれる。あの音楽で、あの結末をやってしまうのか。やってしまうのか。