眼差しのひと、市川準

復活して早々、こんなことを書く羽目になるとは思わなかった。呼び寄せた、なんてことは思わないけれど、あまりに偶然すぎて、なんと言ったらいいのか。会社で一報を見たとき、絶句してしまった。
市川準監督の訃報である。59歳は若すぎる。もっとたくさん、いろんなものを見せてほしかった。というのは、贅沢というものだろうか。
なにしろ、僕が映画を観るきっかけを与えてくれ、いまでもいちばん好きな監督である。『東京夜曲』がモントリオールで賞を取って、いまから思えば驚くべきことなんだけど、テレビのゴールデンタイムで放映された。偶然それを観たときに、いままで観ていた映画と明らかに異質なもので、日常を捉える眼差しに衝撃を覚えた。そのあと、『大阪物語』をレンタルしてきて、惹かれてしまって。それからなのである、こんなにも映画を観るようになったのは。無趣味で通してきた僕に、休日の過ごし方を教えてくれた。
『東京兄妹』『トキワ荘の青春』『BU・SU』『会社物語』『あおげば尊し』。異色だった『竜馬の妻とその夫と愛人』では、三谷幸喜原作で時代劇という状況下なのに、ダニーボーイを流して自分の世界に引きずり込んでしまった。市川ファンはただニヤニヤと笑うのだ。
映画は僕にいろんなことを教えてくれる。人間嫌いの僕が、それなりにまともな生活を送ってこれたのも、極端に言えば、映画があったからじゃないかと、思うことがある。とくに監督の人間を見る優しさには、いつも心を打たれる。そして、そんな眼差しの人に、僕もなりたい。
いま、いちばん多く観たはずの『東京マリーゴールド』のDVDを再生していた。映画館に3回通い、DVDでも数え切れないぐらい観てきた。ショットの美しさにハッとさせられる。フレンチマリーゴールドを眺めたあとでぽつりぽつりと語る寺尾聰がたまらなくいい。そして得意技の、エンドロールに移る際の静止したショット。あまり高い評価をされない作品だけど、僕は大好きである。
監督はもともとCMのひとだが、CM作品のなかでいちばん最初に思いつくのが、長塚京三が女性に背中を見つめられる、サントリーオールドである。たぶん僕がはっきりと思い出せるもっとも古いCMでもある。僕が触れた市川美学の出発点なのだろうか。いま思いついただけなんだけど。
ご冥福を祈りたい。

(追記)
http://www.ajinomoto.co.jp/press/2008_09_18.html
CMの遺作はこれだろうか。まさか宮粼あおいほんだしのCMをつくっていたとは。しかもプレスリリースが、亡くなる前日。あまりに唐突な最後だった。