組織が朽ちていくことの克明な記録 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

(長い作品で、感想もつい長くなってしまった)
60年安保闘争の敗北で諸派に分裂していた共産主義者同盟(ブント)は、数年後に再統合されていた。明治大学の学費値上げに反対する集会に参加していた遠山美枝子(坂井真紀)は、重信房子伴杏里)と知り合い、ブントに加入、その一部メンバーらとともに赤軍派を結成する。武装闘争を主張する赤軍派は、銃による殲滅線の準備を進める。その過程で多くの逮捕者が出た。追い詰められた赤軍派は、革命左派と合流、連合赤軍を名乗り、山岳ベースで軍事訓練を開始した。
実に3時間10分。休憩なし。しかし息詰まる展開で、とてもトイレに行っている場合ではなかった。これはものすごく面白い。ほぼ100%がノンフィクションで、史実を丁寧に見せている。しかしそれ以上に、情熱によってつくられたある組織が、その熱を維持するためになにをし、やがて朽ちていく様が克明に記録されており、それがどこにでもいるような青年に降りかかった事実であることに背筋が寒くなる。そして悲しくなる。
作品は大きく幾つかに分けて考えることができる(山岳ベース以前、山岳ベース、浅間山荘)が、途中までの場面でもっともクローズアップされるのは遠山美枝子。彼女がなぜブントに加わったのかは説明されない。少なくとも彼女の場合、共産主義に傾倒した主義主張が見られない。ただ、多くの学生が社会への不満を抱えていて、彼女もそのひとりとして、サークルに参加するような気分だったのかもしれない。暢気で地味だが、可憐な印象だ。
運動が上り調子のときは、参加者も多く、思想の強弱や多少のいさかいも許されよう。しかし、逮捕者が次々と出てくれば、生半可な気持ちでは続けていけない。参加者が減る一方、思想が鋭敏になり、行動が過激になる。群馬の山中に籠もってなお、遠山が残り続けたのは、重信の影響もあろう。あるいは、そこにしか友達がいなかったのかもしれない。
そんな遠山に目をつけたのが革命左派の永田洋子(並木愛枝)だ。並木は『14歳』の印象しかなかったので、最後の最後まで彼女だと気づかなかった。この怖さったらない。永田は、化粧をしたり指輪をしたりと女性であることを忘れない遠山が目障りだったようだ。表向きは思想的に「なってない」と批判し、総括を求めるのだが。
永田と赤軍派森恒夫(地曵豪)は、総括を粛清の道具にした。思想性が弱いと総括を求める。しかしなにを答えても、そんなことを聞いていないと非難し、総括していないと結論付ける。そして、殴って気絶して、目が覚めたら革命戦士になるのだという奇妙奇天烈な論理を編み出し、紐で縛ったメンバーを次々と暴行し、死に至らしめる。遠山もついに、自分で自分を殴るという総括の末、死亡する。
誰の目から見ても組織がダメになっているのに、前進していると主張しなくてはならないときには、無理が生じる。些細なことを大いなる勝利と位置付け、いまこそ革命のときと気勢を上げる。あるいは些細なミスが組織を致命的な危機に追い込んだとして、粛清する。スターリン主義者だといって殺害する。どっちがスターリンなんだと突っ込んだら殺される。そういう空気に支配されている。
永田は自らの権力ある地位にこだわった。森はかつてブントを脱走し、兵士として復帰を認められた負い目があった。撤退するわけにいかなかった。だから強権を発し、メンバーを締め付けると同時に、自分に酔った。そう解釈できないか。皆が明日殺されるかもしれない恐怖のなかにあったことに、気づいていただろうか。悲しいほどに愚かしい。途中から、僕の勤め先のことが思い出されて、その類似で頭が白くなりそうだった。
逆説は起こるためにある。裏切り者を排除していた森と永田が、裏切り者と化す。東京に資金集めに出かけたふたりは、ふたりだけで旅館に泊まり、まぐわい、ふかふかの布団に入る。そして永田は妊娠する。山中で留守を預かっていた坂口(ARATA)との二股の末だ。ふたりはそのまま東京で拘束される。
警察はつぶしたベースの跡地を発見し、残る4人は逃亡の末、浅間山荘に立て籠もる。大いなるアルプスで、しかし閉塞感は強まるばかり。後戻りできない墜落は、最後の局面。それでも規則違反者に総括を求める情けなさ。なぜここまで堕ちてしまったのか。警察突入の寸前、最年少の加藤元久タモト清嵐)がその答えを泣きながら絶叫する。勇気がなかったんだと。
なんだか『紀子の食卓』のユカが「どいつもこいつも楽になりたいだけだろ」と叫んだのを思い出す。ただし叫んだところで解決にならず、再生もない。せめて死んだ者たちの鎮魂を祈るほかないだろう。ジム・オルークの音楽が、そのことを観客に教える。再生がないなら突き進む。超法規的措置で脱走した者らは、海外に活動拠点を移す。彼らのエネルギーがフィルムに乗り移っている。超絶的なエネルギーだ。出演者たちにそれを注入した若松孝二監督のパワーがなんといっても突き抜けている。この感電から、しばらく抜けられそうにない。