これを痛快と呼ばずしてどうする 『やじきた道中 てれすこ』

新粉細工職人の弥次郎兵衛(中村勘三郎)は、小銭稼ぎのために指の模造を依頼する女郎の喜乃(小泉今日子)にすっかり惚れてしまった。足を洗わせるほどの稼ぎもないつかず離れずの関係に、喜乃が仕掛けて遊郭を足抜けしてしまう。そこに偶然出くわした、弥次の幼馴染にして首吊りに失敗した喜多八(柄本明)が加わり、3人で東海道を西へと進む。それは沼津で病に伏しているという喜乃の父親を看病するためだったのだが。
出ました、松竹の真骨頂にして平山秀幸監督の名作たる、マンネリロードムービー。幾度となく笑わせていただきました。オープニングの時点ですでに腹筋が痙攣していましたから。こういう了解済みの笑いはやっぱりいい。前作に続いて、平山監督はのってます。センスがいいっていうのかなあ。
出演者たちもすばらしい。脇役たちのオールスターゲームのように登場するけれど、誰もが作品の住人として、息吹をもって現れ、全員でひとつの作品を形成している。このレベルの高さは、今年公開された作品のなかでも屈指だと思う。
作品はいくつかの古典落語をもとに進んでいく。とはいえ、観ていて分かったのは「狸賽」だけだったのは僕の不徳の致すところ。タイトルの「てれすこ」もそうだったのね。すいません、また浅草演芸ホールで勉強しますので。それはそうと、落語の映画化は案外難しくて、アニメーションにするかCGにするか。いずれにしても、現代の叡智でやっと実現するものなのだから、江戸文化の想像力にはたまげる。
その、時代劇にしてCGを使用したり、言葉遣いも現代的だったりの世界を、監督は見事につくりだす。時代劇は現代の写し鏡だということを改めて思い知らされた。早い話が、自由度が高い。現代社会をそのまま映し出すよりも、あらゆる制約を取り除いて、コミカルに表現できるのだろう。
そこで思ったことがある。『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』と続いた松竹のマンネリシリーズ。これまでは仕事という悲哀と同情とともに生き続けてきたけれど、この時代にあって、同じ感覚にありつけるのは、時代劇しかないのかもしれない。古典落語をもとにして、東海道をはじめ、多くの街道を行ったり来たりすれば、今作はシリーズ化できる。ぜひ正月の恒例にしていただきたい。できればマドンナを毎回設定して。想像だけでおなかがふくれそう。