映画の面白さが伝わる 『しゃべれども しゃべれども』

噺家は、お客さんに聴く気がなければ喋っていないのと同じ。喋りたいだけなら壁に向かって喋っていろ。いつまでたっても客の心をつかむ話のできない、頑固でまじめ一辺倒の二つ目の落語家・今昔亭三つ葉国分太一)は、師匠の小三文(伊東四朗)にそう言われ、「分かってないなあ」とため息をつかれる。ある日、師匠が呼ばれた「話し方教室」にお供すると、むっとした顔で中座する女性・五月(香里奈)が。かっとなった三つ葉は、とにかく落語を聴きに来いと告げる。後日、客席には本当に五月の姿があった。本気で話し方を学びたがっていた。三つ葉は、独力で話し方教室を開くことを決めた。
なにか新しい試みがあるわけでない。しかし、オーソドックスななかにあふれる粋と人情が輝いている。「ああ、いい映画観たな」と思える、さわやかな作品に仕上がっている。
いろいろな魅力があって、なにから書いたらよいか迷う。まず、三つ葉の落語は、たしかにへたくそだ。自分らしさのない、熱意の空回りした噺。二つ目仲間の台詞のとおり、冷えた餅より硬い。これはもちろん、国分太一が落語の素人だという理由ではない。江戸の口調、テンポ。本当によく勉強して作品に望んでおり、へたくそな落語家そのものを怪演しているといってよいほどだ。三つ葉は、本当は人とコミュニケーションをとるのがうまくない。その硬さが少しずつほぐれていき、後半の「火焔太鼓」は師匠に褒められる出来となる。この「火焔太鼓」の真剣勝負が、この作品の大きな魅力になっている。
三つ葉の話し方教室の生徒は3人。五月のほか、知り合いに頼まれて受け入れてしまった関西弁の小学生・優(森永悠希)、自分で訪ねてきたくせにいっこうに練習する気のない野球解説者の湯河原(松重豊)。この3人に三つ葉を加えた4人の交流がとてもいい。誰一人として、愛想よくする者もなく、どう表現したらいいか分からなくてつっけんどんな物言いをし、それにどう反論していいのか分からずにその場を飛び出す始末。三つ葉は話し方教室の師匠でありながら、自身もほとんど生徒みたいなものなので、教室はいつも崩壊状態になる。
それでも、みんな話せるようになりたいと思ってやってくる。ある日、優の野球の練習に湯河原が付き合う。ほかの2人もいる。いったん教室を飛び出せば、師匠が代わる。それぞれに得意なところはあるのだ。五月は誰より記憶力が優れ、優は面白いと思ったものへののめりこみ方が半端でない。ラスト、彼らの発表会では、その個性を十分に生かした芸が演じられる。とくに枝雀の「まんじゅうこわい」を練習した優は、そこだけを見れば玄人はだしだ。
とにかくそこかしこにさまざまな魅力がぎっしり詰まっていて、どれも主張することなく、まるで自然の摂理のなかで動いているようである。久しぶりの平山秀幸監督だったが、期待した以上のものを出してくれて、たいへん感激した。