季節の終わりに ハロプロ楽曲大賞2006選評

いろんな人びとの引退があり、青空の時代がすっかりいなくなってしまいました。大きな流れから見れば不遇の数年を過ごしたのではないかと思いますが、凡人であるがゆえの魅力を精いっぱい出しつづけて、あるイズムを表現したとともに、次につながる仕事をしてきました。その彼女たちと入れ替わるように、新しい世代が次々と投入され、こうしているあいだにも我が家のDVDプレーヤーは、新たな仲間の誕生を記録していることでしょう。
今年の楽曲大賞のノミネートが発表されたとき、聴いた曲が少ないという文章を散見しました。楽曲の数ではなくて、歌い手の数が広がりすぎたために、どこかの部分しか聴きこんでいないというのが、多くの声ではないかと思っています。僕はその極端な例で、もうほとんどついていけない。新たな世代には、ついていこうとも思わない。新しい人には、新しい支持があっていい。
そんなわけで、きっと、今年が最後の投票になるはずです。以下、投票内容と選評です。

楽曲部門
1. SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜モーニング娘。) 3点
2. 夕暮れ作戦会議(安倍なつみ) 2.5点
3. 砂を噛むように…NAMIDA松浦亜弥) 2点
4. エレベーター二人ぽっち(安倍なつみ) 1.5点
5. ハピネス(松浦亜弥) 1点

推しメン
亀井絵里

PV部門は棄権

保守的というよりは守旧的な内容になったかもしれません。こんこんがいたころの楽曲ですべてが埋まってしまいました。しかしこれがまったく正直なところです。引退後もいろんな楽曲をかじってみましたが、強いて言えば「笑っちゃおうよ BOYFRIEND」ぐらいのもので、あとはピンときておりません。
1は完璧ですね。1位に相応しい唯一の楽曲でした。突き抜けている。誰に対してということでなしに、まだあんなバカをやる元気があったんだなあという感じです。メロディーだけを追っていくと、ものすごく演歌くさいのね。そこにあのアレンジと振り付け。渋谷や原宿ではなく、歌舞伎町や大久保が似合います。
そう、つくづく思うのは、ハロプロは演歌だということ。あれを演歌といわないのは、演歌の定義が狭義過ぎるからなのだ、というとあべこべでしょうけど。なにせつくる人がコテコテの大阪人とあらば、出てくるものは必然的にコテコテなわけです。しかもそのルーツがフォークとニューミュージックであったとしたら、それはもう、演歌と寸分違いのないものになるのです。
なっちの場合、その演歌的な世界が、ギャップを愉しむでも背伸びするでもなく、自身そのものとなって表現されるので、どうしてもリアリティを感じしまいます。そしてどことなく映画的です。映画みたいな恋っていいますけど、僕にとって映画は松竹ですから、恥じらいとか奥ゆかしさとかいう機微への表現に映画らしさを感じます。
2と4は、まさに松竹的ななっちの、松竹的な楽曲として評価しました。2は、その光景が本当に目に浮かぶようで好きです。焼き鳥屋で涙を流して飲むレモンハイは、さぞかし酸っぱいことでしょう。いや焼き鳥でなくてもいいのですが、そのぐらい庶民ライクな感覚があります。4については、片思いの表現のうまさに惚れました。あの男の作詞力は当分衰えそうにありません。
さて、世に「歌情の人」と呼ばれる人がいるということを、嵐山光三郎の本で読んだことがあります。彼もまた又聞きでしたが、かつてアイドルは歌情の人であったのだが、南沙織の出現で、そうでなくなったという趣旨のことが書かれてあったはずです。なかなか興味深いところで、なるほどそうだろうという思いでいました。
ただし、松浦亜弥の出現で変わりつつあるとしたら、それはよいことだろうとも感じています。妙に大人びちゃって退屈ではありますが、そこを通り越したら、面白いかもしれない。裏切られるかもしれないけれど、それはそれだ。そんなわけで、3と5です。いい曲をもらったねといってやりたい。
それにしても、こうやって選んだ5曲のうち、実に3曲が、かの男の作品ではないことに、少なくない感慨があります。彼は新しい世代に注力していくことになるでしょう。それで構わないと思いますが、外野から応援を頼んで、それが成功すればするほど、他者との交換可能という意識が濃くなっていくように思います。そのとき、ハロプロという括りの意味づけをどうするのか。なくなることも選択肢ですが、一度決壊すれば、あらゆる部分で雪崩を起こすに違いありません。
最後に。いろいろ考えましたが、いまなきひとを推しとして挙げることをやめました。すべては未来につながっている。いまをもって尊しと為す。キャメイさん、次はあんたの番だ。まかせたよ。