キャストの首には真綿が 『ハチミツとクローバー』

このブログの使い道を考えないとなあ。いくらなんでもサボりすぎだ。
さてと。
なるべくしてなったわけではありませんが、僕は原作を読まないで映画を観ます。しかしなんとこの作品の原作だけは、ちょっとだけ読んだことがあるんです。普段どうしたって漫画を読まない僕にも面白かったぐらいですから、よっぽど人気があるのでしょう。
そんなこともあって、映画を楽しみにしていました。キャスティングがあまりにもいいもので、予告編でお腹いっぱいな気もしたぐらいです。映画を観たあとも、キャスティングだけは絶賛できますよ。
ところが、作品としては駄作なんですね。もしもこの監督がこれからもずっと映画を撮り続けるとしても、代表作にはならないと思うのです。せっかくあんなにいいキャストを抱えながら、きっと来年には記憶から葬られるんだなあ。寂しい話です。
まず、映画は対話だと信じる僕からすれば、この監督がカメラを通してどんな対話をしたのか、終盤になるまで分からない。どこから見るか、どんなふうに見るか、その背骨がどうしても見つからないのです。だから作品がふらふらしている。スクリプトにもいろいろと疑問が残りますし、ナレーションを多用してストーリーをうまく流そうと必死なのが痛々しい。映画ってそういうもんじゃない。
終盤になってようやくテンポが出てきたのかなあという感じがしました。そこではっとしたのが、中村獅童なんです。彼が突如として登場してから、ストーリーがきゅっと締まった。花本先生(堺雅人)の放任的な大人像に対極ができて(その意味で銀粉蝶もよかった)、青春の姿が鮮明になりはじめたのですね。監督はきっと、彼ら大人の視点で、上から学生たちを見ていたんですね。少なくとも真っ向勝負を避けている。
僕がただ期待しすぎて、妙な幻想を持ってしまったのがいけないのだろうか。などと考えてしまいますが、ほかの作品のことを考えると、やっぱり厳しくならざるをえませんね。何度も書くけど、キャスティングは申し分ないのですよ。しつこい?