いま喝采のとき

なにを書いたら、どんな言葉があればいいのかも分からずにいます。ただ、こんこんにとって最良の選択であったと信じています。ずっと、なにをやってもやならくてもいいから、勉強だけはやっておいてほしいと思っていました。いつか勉強したくなる日が来るから、そのときに悔やまないようなことだけでもと。なので、動揺のなかにも、悲観ではなくて、どこか安心したような感覚があります。
5年というのは、ちょうどいい門出のときだと思うのですね。僕は大学に6年間いたのですが、途中から、この生活がいつまでも続くような気がしてきたので、どこか新しい地を求めないといけないと考えるようになりました。こんこんはもともと、人を引っ張っていく人でも、主役を演じるような人でもありません。きっと当時の僕と同じようなことを、考えていたのでしょう。そして彼女の決断に、相棒がいたことが、僕にはすごく嬉しい。
こんこんは長いこと、僕にとって「思想」でした。教科書でした。彼女に「実存」を見ていて、たくさんの人びとに囲まれて、誰かを蹴落とすでもなく、誰かにけなされるでもなく、集団のなかにいることの強さと頼もしさに、ずいぶんと気付かされたものでした。こんこんも、自身の歌に自ら励まされて、ここまで来たのではないかと思っています。卒業を決めたのも、歌がそうさせたからなのでしょう。
思えばあっという間でしたが、最初の写真集が出てからもう1年半以上が経ちました。あのころはガッタスが初めて大会で勝って、優勝までしてしまったのでした。そのときのこんこんを、僕はスガシカオの歌になぞらえて「坂の途中」と書きました。

たぶん、長い長い坂の途中、止まりそうになる足を一生懸命に上げてゆっくりと登る姿を、僕たちはじっと見ていたのだと思います。それなのに、いつの間にか背中が見えてきて、背中しか見えなくなって、とっても高いところまで登ってしまっていたことに、気づくのがちょっと遅かったのかもしれません。*1

そしていま、喝采のときです。こんこんは、いままで誰も登れなかった、新しい坂を登ります。その美しさは、ほかのだれのものでもありません。試験を受けるまであまり時間がないようですが、焦らなくていいです。試験が来年になってもいいじゃないですか。着実に確実に進むことのほうが、すっと彼女に合っています。

ヘミングウェーは『勝者には何もやるな』といった。私たちがオリンピックで求めるものも、たとえ敗れようが何かを超えて勝った真の勝者をなのだ。*2

「夢を抱け、誰にも言うな」と彼女たちは歌います。こんこんはまるで、自分たちの歌の主人公です。それを真の勝者だと思うのです。
たぶん、5月7日が、僕にとって最後のこんこんの姿になることでしょう。せめてミュージカルを見たかったなあ。心にぽっかりと穴があいちゃって、ミュージカルなんて鑑賞できるのでしょうか。