解説を拒絶されたけど、楽しいのだ

ハロプロオンステージ」を観に行ってまいりました。この類はまったくの初めてだったので、チケット以外になにも用意せず、かなり気楽な気持ちで、言い換えればずっと座っていてもいいよなあというぐらいの気持ちで、会場に向かいました。きっと皆さんそういうものだろうと高をくくっていたのですが、いざコンサート部分に突入すると、いつにも増して統制のとれた掛け声がずんずんと入りまして、エキストラの方ですか、と思わず呟きそうに。
ただ僕の場合、今回はコンサートを観に行ったつもりもなかったわけで、ハロプロの芝居という怖いもの見たさ中心の鑑賞と相成りました。正直なところ、幕が上がってからの十数分は、このまま2時間が過ぎればたいへんなことになる。つまり、とんでもない子供騙しにつき合わされると危機感を覚えたのですね。なんて悲しいカラオケ大会なんだろうと。しかし徐々に、状況が変わっていくもので、僕も映画鑑賞のときと同じ姿勢でステージと睨めっこする破目になりました。
そうなると厄介なんですね、僕の場合。考えちゃうから。映画の場合もそう、構図がどうのこうのとか、意図が云々とか、観客の受け方があれこれとか、いろいろとありますから。いまにして思えば、やっぱり子供騙しということで収めてしまえば、楽だったのです。いま褒めましたからね。
難しいのです。どう感想を書いたらいいか分からなくて。たまに、これはすごいぞという場面があるのです。年に数十本の映画の感想を書いてるんですから、ここは信用していただいて結構。ブロードウェイのオマージュっぽい作りをしているあたりも印象がいいですし、「SHALL WE LOVE?」を歌う部分があるのですが、あの演出はなかなか見応えがありますし。ほかにもいくつかね。誰が本を書いているのか知らないけれど、感心しながら観ましたよ。
ただ、各論賛成総論反対と言いますか、ひとつひとつはよくても、全体の流れが心もとない。本筋よりもそれ以外にもっと置くべき重点が散見されて、勿体無いことをしているなあと。それに、かねてより疑問に感じていた、ハロプロは構造で動くのか実存で動くのか(二者択一である必要はまったくないが)という点が図らずも浮かんでしまって、観れは観るほど理解に混乱をきたすことになりました。
その混乱というのは、おそらく考える軸の問題なのでしょう。やはりどこかに突破口を持たないと解釈は難しいものですが、それをステージの上に求めようとしたのが、そもそもの間違い。上にも書いたことですが、観客を巻き込んだうえでの演出という目論見があるわけですから、観客を軸にあれこれ思いをいたすのがよかったということですね。繰り返しになりますが、もっとよいのは、考えないことですが。
などともやもやしながらも案外楽しんでいたのですが、特筆したいのは、なっちなんですよね。このひとやっぱりすごいですね。あの空気の作り方というのは、なかなかできないと思います。ただひとり、芝居で食っていけそうだなあという感じでした。いまさらこんなこと書くもんじゃないですけど、華って言葉があります。主役でないといけない人と、そうでない人と。これはもう、素人玄人関係なく、観客なら誰だって分かる。ハロプロ数多しと言えども、あの空気を出せるのは、あの人ひとりしかいない。
代役の柴ちゃんも、僕はミスキャストだとも、違和感があるとも思いません。こういうことも書くもんじゃないだろうけれど、むしろこれでよかったんだと思いますよ。波長の問題です。