新春二番勝負

本当は今日も1本観て、三番勝負といきたかったのですが、体力的にこの1週間を乗り切れる自身がありませんでした。昨日でさえ、起床時間がえらく遅くなったために、上映スケジュール確認がたいへんでしたから。

場当たり的で不可解な点多し 『ギミー・ヘブン

共感覚という、非常に難しいテーマを扱ったのだということはよく分かります。映画を観終わったいまでも、分かったような分からないような症状です。ただ、難しいがゆえに映画にしやすいという特徴もあって、その意味ではいいアイデアだったのでしょう。人間ドラマにミステリー要素を加えたというのは、きわめて安直ですが。
しかし強いて褒められるとすればそのぐらいのことで、悩ましいぐらいに不出来なんですよね。あれだけの役者陣を集めておいて、持ち腐れというか、脚本やら演出やらでとことん負の方向に走っています。
脚本に、無駄と断絶が多すぎるのです。連ドラじゃあるまいし、脱線しなくても十分に2時間のストーリーを作れるのに、無駄に人間関係につながりを作るわ、その理由は明かさないわ、死ぬわ、妊娠するわ。安藤政信が死にゆく長々としたシーンは、なにかほかに撮りたいものがなくなった埋め合わせなんでしょうか。
結局、なにを言いたくて、なにを撮りたいのかまったく分からないうちに終了しました。もっとシンプルなストーリーにすれば、それほど酷い出来にはならなかったと思うのですが。もっとも、撮る側に、撮る意思があることが前提なのですが。さてどうなんでしょうか。
偶然見つけた、ソル・ギョングのインタビューで、彼はこんな発言をしています。

自分が元々持っていることだけを使おうとする監督が一番憎い。自分自身で分からない自分を見付けてくれる監督が一番ありがたい

あの役者とこの役者をくっつけて、盛り上がりをいくつか作って、不可解な要素をいっぱい作れば、面白い映画が撮れるでしょ。と思っていたら罰が下ります。実はほかにも怒りの要素があるのですが、それこそ感想が散漫になりますので、このくらいで。

むしろむちゃくちゃでオーケー 『世界は彼女のためにある

これは、年に数回起こる「怖いもの見たさ」のジャンルですね。ホラーよりカルト。しかし、このむちゃくちゃな感じは、むしろ肯定の対象なんです。それはもともと、配給を前提とした作品でも、利益を生むものでさえないとされていた、専門学校の卒業制作だからなんですね。
だからこそさまざまな要素を強引にでも、作品に盛り込んでしまう。学園ものであり、SFであり、人造人間のホラーであり、ちょっとコメディー(笑かしていただきました)。案外、カメラの撮り方もしっかりしていて、これでもっといい機材があれば、プロ並みの撮影が出来たのではないかと思わされます。
とやかく感想を述べるものでもないように思いますが、『ギミー・ヘブン』が宝の持ち腐れ映画であった一方で、こちらは低予算でここまでのことをやれるという凄さがあって、実に対照的です。それでもう十分ですよね。