今日も元気だビールがうまい 『ALWAYS 三丁目の夕日』

(実際は、ここ数日、お腹が緩くてヒーヒー言っております。)
年の瀬に入り、去年ほどとまではいかないまでも、ずいぶんと観てきた今年の映画の数々を、リストをもとに思い出すことがあるのですが、そのたびになんだか釈然としないものを感じてしまいます。日本人が撮ったからといって、それがすなわち日本映画だとは限らないのではないか。とくに最近は、映画を観ながら「映画ってなんだろう」と考えることがあり、ただしそれは生涯解決しないだろうと踏んでいるのですが、結局のところ、去年に比べて今年の作品群は見劣りしているということだろうと気づきました。
その不満を一気に払拭させたのが、まさにこの作品です。「映画を観た!」という満足感は、こんな映画にこそあるべきなのでしょう。娯楽映画としては今年最高の出来だと確信しています。
VFXの進歩は目覚しく、驚くべき映像に溜息が出るほどですが、しかしそれはただのツールにすぎません。たとえば『千と千尋の神隠し』が国内外で高く評価されたのは、技術的な部分ではなく、実写と同じ土壌で「映画として」成立していたからだと思いますが、この作品にしても同じこと。日本映画がVFXを現代劇に使用するにたる武器として獲得できたと同時に、VFXが日本映画を表現するに至ったことの証左を、われわれは目撃したということなのです。
たいてい、よほど満足した作品でも、どこがよかったとかここがもう少しとか、なにか書きようがあるのですが、この作品にはすっかり解説を拒絶されてしまったようです。おそらくもう一度見て、10分ごとに感想を書いていかないといけないのでしょう。よくここまで描ききったなあと思います。まず、カットに迷いがない。登場人物との一定の距離、それは監督とわれわれが、スクリーンのなかで傍観者として登場人物を温かく見守る視点であり続けます。
時代考証については、その時代を生きていないので知りませんが、おそらくその時代を生きてきた人びとにとって、あの登場人物たちは、そのまま自らの思い出を投影できる存在なのだろうと思います。血気盛んな大黒柱の父ちゃん、いつも子供たちの見方をしてくれるパーマをかけた母ちゃん、金の卵で訛りの抜けない六ちゃん。もちろん竜之介も、その時代にいかにもいそうな人物なのでしょうが、彼は私の世代を作品に結びつける重要な役割を持っています。世代によって、誰に感情移入するかが分かれるでしょう。逆に言えば、ものすごく広い世代が楽しめるようにできている。
それからキャストのよさに言及しないわけにもいくまい。キャスティングのすばらしさもさることながら、演出もすばらしく、誰ひとりとして雰囲気を破壊しません。チョイ役でも細部までよくこだわって演じているので、非常に安心してみていられます。とくに医者を演じた三浦友和がすごくいい。『茶の味』でも医者役でしたが、まったく違うキャラクターで、見ていて実に楽しいですよ。
作品のなかには、東京タワーと夕日という象徴物がありますが、みんな上を向いているんですよね。それゆえ、家族のいない町医者や用無しになった氷屋の寂しそうな姿が印象的ですが、それでも全体が明るいから彼らも明るい。あの元気で明るい雰囲気は、独特で刺激的です。昭和は確実に精神的支柱として、国民であることの潜在的感覚にあり続けるのだろうなあ。これは記憶を超越している。公式サイトで糸井重里がこの作品を「いい嘘」と表現するのですが、ああその通りだなと。海外で評価させてみたい作品ですね。
(追記)上を書いたあとで映画瓦版を見にいったのですが、サンタクロースへの指摘に納得させられてしまいました。ここに気づかなかったとは、僕もちょっとお粗末でした。あくまでも、うまいのはコーラじゃなくて、ビールなんだなあ。