秋晴れの朝だった

ばあさんが死んだ。今年の春には顔色もよく、自力で車椅子を走らせていたので、入院したと聞いても、すぐに戻ってくるだろうと思っていた。倒れてからはあっという間だった。しかしそのあっけなさが、親戚中をほっとさせもしていた。
遠方に住んでいたので、滅多に会うことがなかった。去年、今年と、十数年ぶりに会いに行ったとき、さんざん話したあとで、ところであんた誰、と言われたことを忘れられない。呆けていたのではなくて、顔がかわっちまってわかんないよ、ということだった。つい最近まで、僕の嫁さんをなんとかしないといけないと呟いていたらしい。
覚悟していたことでもあり、大往生だったこともあり、皆さっぱりしたものだった。それでも、いざというときになると、鼻をすすり、声を上ずらせた。きれいな死に顔が、そんなふうにさせたのかもしれない。
年の瀬を待つ晩秋の山の空は、いつまでもどこまでも高く続いていた。