中途半端でニュートラルでなんじゃこれ 『タッチ』

映画館の喫煙所にいましたら、前興行を観た客が流れてきまして、感想を言い合っておりました。ある者は「ビミョー」だったと言い、またある者は「あの監督の作品は二度と見ない」と言い、いったいどれだけ僕の気力を削ぐのかと思いましたが、僕自身、観るべきかずいぶん迷いました。少なくとも、監督が犬童一心だという情報がなければ、間違いなく今日は家でゴロゴロしてましたね。
しかし、君が酷評する映画を、僕は観たいんだ。きっと君たちは、日本映画を観慣れていないんだよ。君が想像していたのは、テレビじゃないのかい。......と、ほくそえんだ僕がバカでした。誰だ、あんな迷える映画を作ったのは。製作委員会のメンバーを見れば、日テレ以外の汚点を見出せない。おとなしくジブリに出資してりゃいいものを。
もちろん、ところどころはいいカットも、つなぎ方もありましたし、なんとなく『大阪物語』を思い出して懐かしく思いもしました。街の風景でつなぐ巧さや、長澤まさみがボクシング部の前を通り過ぎるカットの構図は、たしかにいい。
ただ全体として視点が相当ばらついていて、上から見たり下から見たり、右に動いたり左に動いたりで、一向に定まる気配がない。おまけに、誰を中心に撮っているのかも定まらない。どう考えても、長澤まさみを中心に撮らないと成立し得ないでしょうに。突然ですが、思い出しました。おそらく彼女のデビュー作『なごり雪』を。絶対に大成しないと思ってたのに、いまや昭和を表現するのに欠かせない存在ですからね。昭和といえば須藤温子も昭和だったなあ。あ、話を戻します。
バイプレイヤーたちがもっと活躍してもよかったですね。小日向文世風吹ジュン本田博太郎徳井優と、いい役者が揃っているのに、持ち腐れ感たっぷりです。本田博太郎をもっとたくさん見たかった。この不安定な作品にあって、ものすごい量のアルファ波を放出してましたよ。
もうひとつ考えたいのが、時代なんですよね。おそらく、80年代あたりを想像して差し支えないと思うのですけど、そこのところが実にニュートラルで、観客をなんとなく不安にさせるんじゃないかと。というのも、劇場には高校生がたくさんいましたが、かれらに80年代の記憶なんてありません。だから思わず、なんでケータイ使わないんだろ、という思考回路ができてしまう。せめて時代を確定させる小道具がいくつかあってもよかったんじゃないでしょうか。
まあいいです。犬童監督には、これでガッポシ儲けて、それを元手に撮りたいものを撮っていただきたい。というわけで、メゾンド何某を観に行こうと思う。