名作ではないが年度代表作 『NANA』

結局、ぎゅうぎゅう詰めの深夜興行で観てきました。席数が奇数なのであぶれた端っこで。隣のカップルのポップコーンを食む音を聞きながら。
これはすごいなあと思ったことがふたつあって、ひとつは、ビックリするほど時代性に富んでいる点。まず、物語が小さい。その小さなものが積み重なっても、大きな物語にはならないで、自分とそのわずかな周囲だけで社会が完結されている。しかもダブルキャストで、キャラクター・テリングさえも可能な構造にしておいて、極めつけは、その物語がすべて「あのとき」「あのころ」の思い出語りなのです。
みんな、世界の中心にいるのね。叫んじゃってるの。ラッタッタラッタッタうぬぼれワルツ。ただ、中心で叫んでると思ってるのは自分たちだけで、実際のところ、他人からすればどうでもいいことのかたまり。同じバンド映画でも『アイデン&ティティ』と圧倒的に違うのは、社会の存在です。ロック小僧の主人公がキャバ嬢に「あたしロックに興味ない」と言われてガックリきちゃう、あの感覚がないんです。
でもそれでいいわけですよね。いいというか、矮小化したライトでマイルドな社会の時代なんだから、小さく描いていくことこそよい。「あのころ」の「あの」という指示語がまたすばらしい。観客もまた世界の中心にいるわけだから、それぞれの世界で勝手に脳内変換してもらうためには、曖昧な指示語と記号で攻めちゃえばいい。ハチの故郷はたぶん北関東ですけど、田んぼの真ん中に立つショートケーキハウスという記号にしびれます。あるいはナナの故郷も記号。いつか故郷に戻ってふたりで暮らそう、という、港町ならではの蓮の発想もまた、味わい深い記号です。
今回も原作を一切読まずに作品を観ましたけど、原作がいかに人気作かは、とてもよく分かりました。ここ数週間、最新刊を読んでいる人を何度も見かけました。映画の最後、ナナとハチの部屋でくつろぐ仲間たちが、まるでショーケーキハウスの理想の家族像のようで、あれは強烈に皮肉ですよ。
さて、ふたつ目なんですが、いまだに最新刊が出るような息の長い作品なので、おそらく膨大な物語があったでしょうに、それをよく2時間の作品にまとめたなあと。脚本も共同で務めた大谷監督の技量でしょう。そういえば『とらばいゆ』とちょっと似てるかなあ。カメラの視点が何と対話しているのか不明でしたので、絶賛したくもないですが、予想以上に面白かったです。シーンの切り方が淡白で、記号的なのもよかったです。褒めてるように思われないでしょうけど。
キャストで特筆すべきことはありません。もちろん、宮崎あおいは相変わらずよかったですよ。演技を愉しむ余裕を感じます。あとはもう、キャラクターですから。記号ですから。
どうでもいいことですが、ハチってちょっと寅さんっぽくないですか。ハチの実家でナナの秘密を知ろうとするシーン、なぜか僕は寅さんシリーズの都はるみを思い出しました。あのときの寅さんは、相手の女性がスター「京はるみ」であることを知ってて知らない振りをしていたのに、ポロッと口から出ちゃうんです。ハチの場合はうっかりではなくて、あくまで真剣に、ですけど。そこのところは、男と女の違いなのかなあ。