本日の衝動買いハリケーン

平日が休日だと、朝目覚めてから、必ず一度はハッとしますね。そして、明日の朝は再び早起きできるものだろうかと、思い悩みます。
ところで、今日は家でのんびりしようと思っていたのですが、それこそ平日に時間を取れることもさほどないもので、遠くにある銀行まで行ったら、ついでついでの連続で、帰りが遅くなってしまった。おもえば3日連続で東京に繰り出している。久しぶりに丸の内の丸善に行ってみましたが、それなりに充実してますね。あれ以上を望むなという話ではありますが。

戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)

戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)

ナショナリズム (思考のフロンティア)

ナショナリズム (思考のフロンティア)

ついに今年から、白書の紙質が大幅に変わりました。間伐材10%+古紙90%というざらついた、白色度の低いものになりました。農業白書も同じようになったようですが、ひとまず手触りがよかったもので、買ってしまいました。
あとの2冊は、岩波の在庫処分をやっていたので、なんとなく手を出してみたまで。ここに引っ越してくる際、書籍類をかなり親元に残してきたものの、案の定というか、また増えだしました。
本といえば、今はこれを読んでいます。
友情

友情

はっきり言ってあまり面白くないのですが、西部氏が僕と同郷で、ノスタルジックなその地域の様子を書くものだから、なんとなく読み進めておりました。そうしたら、すごく共感できる一節がありました。

だが、戻るも戻らぬも、私の保守思想そのものが北海道的であることは否定できない。つまり、自分の感覚や認識がどんな前提にもとづいているのか、いかなる基盤の上に立っているのかを「理屈」において求めていくと、そこに伝統があるとしなければならなくなった。伝統とは、私にあって、矛盾をはらんだ価値観における、平衡感覚の歴史的な蓄積のことである。その肝心要の伝統が、私にあって、観念の次元にしか据えおかれないのだ。つまり、伝統の欠乏を痛感すればこそ伝統への欲求がつのるというふうに、観念がいささか異様に膨らむのはやはり北海道的といわざるをえない。(P95)

道産子は、ここで必ず悩むんじゃないかと、僕は思います。学生時代の師匠も道産子でしたが、未だにここを引き摺っている節がありました。これは端っこの感覚で、端っこは真ん中への対抗心から、その思いをいっそう強くします。それゆえ端っこ同士の結束は強くなりがちです。東京で頑張る道産子を見ると、応援せずにはいられません。そして、いつか故郷に錦を飾ってほしいし、北海道のためになにかしてほしいと、願わずにもいられません。伝統の欠乏への痛感は、愛郷心でもあるのだろうと、僕は思います。