真空地帯のマーチ

掟ポルシェさんの今日付のエントリーを興味深く読ませていただいて、なんとなく考えるところがありました。氏の文章は、矢口問題から娘。論へと発展していき、「かつての感動を呼び戻してもらいたい」と締めるわけです。
しかし、コアな人びとを除けば、いったいどれだけの人が感動を待っているだろうかと思わずにいられません。現にいま、こうして僕がぼんやりと何かを書こうとしていたって、それをうまくまとめるだけの時間はなく、やがて思考停止に陥るのが関の山です。これから先のわたしたちは、どれだけショッキングな出来事が起ころうとも、たとえモーニング娘。が解散しようとも、それがなくなることに脅威を覚えど、なにひとつ抗うこともできず、真空地帯に置かれることになるのでしょう。
たとえば地球が温暖化していなかったらどうしましょう。遺伝子組換作物が身体の内外によくないと言われていても、あるとき、「君たちは10年以上も毎日、遺伝子組換作物を食べ続けていたのに、ピンピンしているじゃないか」と言われたら、どうしましょう。どうしようもない。もはやそれを誤解だと指摘するだけの力もなく、相手の指摘を飲み込まざるを得なくなり、ぼんやりとでも見えていた進行方向が消滅してしまう。どこへも行進することができなくなってしまいます。
思考停止に陥るのは、まともに思考している時間がないからだというのが大きな理由だと思いますが、ではどうしてそうなったかと言えば、既存の商品とサービスでは十分に需要を喚起できず、いままで需要という認識のなかったもの、コミュニケーションのようなものを需要と認識したり、不安を仰いでみたりして、無駄に商品が増えたからと言えなくもない。かつて、モーニング娘。はそれと対抗する、すなわち、家族や仲間、日常生活への非商品的価値観を歌ってきたわけで、現在はそれが効力を失った証左かも知れません。
ただ、私たちが思考停止に陥るのは別に不自然なことではなく、思考時間が有り余っている中高生、学生たちがある方向に対して正当な需要を発掘してさえくれれば、彼らを支援することだってできるのですが、彼らの心を鷲掴みするものって、なにかあるんでしょうか。いや、たとえなにもなくても、彼らが悪いわけではない気がします。
そんなわけで、老若男女総思考停止・総無終末状態と化すわけですが、秋に、また文化祭があるんだそうです。去年がそうだったように、偶像たちがせっかく環境問題を考えましょうと訴えども、それに聞く耳を持たず、ただただ動物のように、偶像に向かっておしくら饅頭をするだけなのでしょう。それを思うと、なんだか陰鬱な気持ちになります。と同時に、いったいいま、僕はなにについて書いているのだろうかと、明らかに頭で整理がついていないことに、改めて気づかされるのです。もう無理よ。おわり。