全身表現者にモードはない

パートのおばちゃんとの最後の仕事を終えて帰宅したら、リーダーが脱退してました。記事を読んで、過去形の文章になっているのが不思議で、しばらく考えた末、眩暈を起こしそうになりました。
アンテナを使っていろんな方の感想を見ていると、あまり評判がよろしくないようですね。もっとも好評でも問題なケースですけど。紙切れ一枚の説明で納得できるものではないと。このようなやり方をしばしば秘密主義といって、僕なんかは、日本共産党の筆坂事件を思い出しました。仲間とか支持者とか、ものすごくたくさんの人を置いてけぼりにして。ただただ、「みんな」がどうなってしまうんだろうと、それだけですね。
もうお忘れかと思いますが、筆者はモーヲタ民藝派です。その観点からしますと、「『アイドル』としての自分を裏切っていた」というコメントに、どうしても否と言わざるを得ないのですね。
彼女らがアイドルかどうかの検討は避けますが、アイドルはごく精神的な問題であって、語源どおり「偶像」だろうと思います。その偶像は一朝一夕にできるものではなくて、そのプロセスをストーリーと呼ぶ場合もありますが、非常に作為的な効果を常時発し続けなければならない。いわば全身表現者だと思うのですね。
全身表現者に、オンとオフはありません。もちろん生身の人間ですから、いろんなことがありますけれど、それを表にしてはなりません。それはスクープされてはいけないということではなくて(そういう意味もあるが)、とにかくオフィシャルな場ではオフィシャルな行動をとるということです。ちょっと分かりにくいかも知れませんが、かつてチャーチルは政治倫理について、政治家が24時間とらなければならない行動のことだと語ったといいますが、つまりはそういうことです。
そんな倫理的な全身表現者に、「『アイドル』としての自分」を客観視できる別個な自分がオフィシャルに登場してしまう。僕は、そのことにものすごくがっかりしています。と同時に、そんな人物のとる行動しては、なるほどなと思うわけです。
なんだかものすごく冷徹な感じですけれど、要するにとてつもなく不安なんです。限りなくゴロッキーズですよ。あーもーどうするんだよこれ。とりあえず寝るけどさあ。