「北の零年」に見る映画界儲かりすぎ問題

この作品、観ようと思ったのがひと月以上も前の話で、オークションでやけに安値の前売券を入手したわけですが、その後の多忙により東京で観ざるを得ない状況に追いやられ、昨日に至りました。おかげで、もっと観たい作品を後回しにしております。今年は思うように映画を観られないなあ。
さて。もうこの作品については、無理やり誉めることをやめにする代わりに、できるだけけなさないように気をつけたいと思いますので、感想は短くいきます。端的に言いまして、脚本が腐ってました。いくら芝居と割り切っても無茶なスクリプトの連続や、演技を信用しているとは思えない描写のしつこさに、どうして誰も異議を唱えなかったのか不思議でならないです。意義がなかったという前提ですが。でもたまにいい場面があるんだよなあ。数年ぶりに夫婦だけで話すシーンは篠田昇*1だったし、開拓使に出向くシーンとかイナゴのシーンとか、クライマックスの緊迫した場面もなかなかではありました。あのイナゴってフルCGじゃないですよね。生態系に影響が出そうな勢いでしたが、どうなんでしょうか。役者陣はよかったですよ、すごく。あと、カメラが動きすぎて目が回りました。
と、ここまでが感想のすべてです。で、東映が莫大な資金と宣伝力を駆使して興行した大作なんですから、責任を誰が取るのかという話になってきます。というのは妄想だと思いますが(すごく眠いし)、しかし、誰があんな脚本を許したのかという問題は、できればハッキリさせてもらいたいわけです。脚本を担当した那須真知子氏の前作については皆さん各々で調べていただきたいと思いますが、いまから思えばすごく勇気ある決断だったと思います。行定勲監督が起用されたこともふくめて、新鮮さは評価したいのですが、監督が若いので、彼の後ろ盾に怖い人をつけておかないと、なかなかのびのびとは仕事できないでしょう。
では問題は、あの脚本でメガホンを取った監督にあるのか。それはそうだと思うのですが、彼の後見人的な立場、製作総指揮、というお役目の人がちゃんといるわけで、彼らの責任は重大です。でも彼らにしたって監督にしたって、べつにあの脚本にゴーサインを出した覚えはないと言うかもしれないなあと、なんとなく思うのです。東映だけの問題とも限らないわけですが、どうもこう、責任の所在がうやむやな組織の問題が垂れ込めているように思えます。公式サイトのキャスト・スタッフ欄があまりにも簡素なのがいまどき珍しく、ついつい妄想をかきたてられてしまいます。
ひょっとすると東映という企業が、いや映画界がここ数年かなり潤っているため、とくに大手資本は、金銭感覚がちょっとおかしくなっているのかもしれません。かつて、数十年前は、ほとんどの撮影を撮影所のセットで行っていたわけで、脚本次第ではいまでもそのやり方でできないわけはありません。なのにわけもなく雪山の吹雪のなかで撮影するような豪快な手法で、なんかすごいことをやった気分になって、悦にいった可能性があります。いっそ3本で10時間ぐらいの強力な作品に仕上げたら、ストーリーに焦点ができて面白くなったのかもしれません。お金があるんなら、そのぐらいの気前のよさがほしい。
んー、しかし、どうして僕はここまで妄想じみた批判をしているんだろう。期待したからだろうか。監督を信頼したかったとか、予告編にコロリとやられたとかいう理由はあるのですが。なんだかいまとてつもなく眠くて、自分でもなにを書いているのかしっかりとは把握していない気がします。でもいま書いておかないと、次にいつ書けるか分からない状況なので、なんとかしているわけです。などといういいわけも虚しくなってきたなあ。
(本日の鑑賞代)868円

*1:なぜスタッフロールに名前があったのだろう。そこに突っ込んでしまうと、なぜUFAが作品に噛んでいるにもかかわらず、石原さとみだったのだろう、という疑問も湧いてくる。