能地さんの日記に紺野さん

やっぱし紺野さんはバカだと思います。みんなみんな、いいバカです。摩れるということを知らないんでしょうか、この子達は。それでいいわけですけど、不思議でしょうがない。
しかしそれが魅力なわけですよね。魅力というか魔力というか。最近、いまさらながらにして「動物化するポストモダン」を初めて読んだのですけど、どうしても違和感が残る。いやすごく立派な発想だなあとは思うのだけれど、モーヲタってそうだよなあと、おいそれと頷ける代物ではない。
たぶん東さんがモーヲタを事例にしなかったのは、興味がなかったというよりも、扱いにくかったからなんじゃないかと思いました。やっぱりそれっていうのは、フェイクとして情報を純化させるには、実存としての生身の人間像が邪魔をするのでしょう。むしろモーヲタって、そのどうしても完璧なフェイクになりきれないズレのようなものに、何かを見ちゃったのかもしれません。だから、アンチポストモダンな集団と言えなくもない。時代に取り残されただけだと言えなくもない。
ただ、寺田兄さん自身が、フェイクとかポストモダンとかいうものと闘ってますよね。歌詞に具体性を求めたり、ヘッポコな表現だったりするのはそういう意味もあるのでしょう。すごくフォーキーです。パッと見だけで判断できる世界って、いわば「ハレ」的ですけど、これとどうでもいい日常=「ケ」とのバランスをどうするか。というより、「ケ」の美をどうやって演出するかに腐心している。「民藝運動」というのがありましたけど、近いものを感じます。
もっと言えば、紺野さんはその「ケ」を持続できそうな存在に見えたのでしょう。紺野さんを見ていて、ああ日常美とはかくなるものであるかと思わされる。これがインスピレーションというやつなのではないかと。それを確認させてくれるから、ある日彼女は、モーニング娘。になったのかもしれません。本来、あの世界にいられるような人ではないですから。
みたいなことを考えさせられるような本が出版されそうですね。買わないわけにいかない雰囲気。ゲラゲラ笑いながら執筆するというのはどういう状況ですかね。体験がないだけに、遠くでコッソリ見ていたい光景です。