お世継ぎ問題を調べてみた

もう昨日からこのことがずっと気になってしまってですね、インターネットでいろいろと調べて回ったのですよ。そしたら、僕がいままで気付かなかったような驚くべき事実が発覚してきまして。いや僕が勉強不足だっただけかもしれないんですけど。きっとそうなんですけど。
現時点では、今上天皇の息子ふたりが順番に皇位を引き継いだら、それで断絶しちゃうわけですよね、「男系男子」というやつが。それで旧宮家に注目が集まったわけなのですが、彼らがいったい何者なのか、というのがやっぱりポイントなわけです。いま「男系男子」の存在が確認されているのが4系統あるのですけど、この系統はすべて伏見宮をルーツに持っている。
この伏見宮天皇の直系血族と分離したのがですね、室町中期、後小松上皇の時代のことなんです。15世紀ですね。後小松上皇の直系が断絶の危機にあったものですから、彼のハトコの貞成親王の息子を、称光天皇の養子にしてですね、それでお家の存続を図った(この辺はすごく面倒な話があるのですが省きます)。で、そうやって即位しちゃった後花園天皇の弟の貞常親王という人が、伏見宮の最初の人なんです。だから、今上天皇旧宮家というのは、もう遠縁なんてもんじゃない。男系男子にこだわれば。
こだわらなければ、わりと縁は深い。というのも、この伏見宮は幕末、邦家親王の代に子孫繁栄に大成功しまして、大量に宮家が増産された。旧11宮家のうちの半数以上がこの辺りでできている。で、明治天皇の子孫がまた女子だらけでですね(男子は大正天皇以外は幼くして死亡している)、この新しい宮家に次々と嫁いだわけです。だから、男系男子にこだわらなければ、明治まで遡れば親戚ということになる。
でも、15世紀まで遡らないと親戚がいないというのもすごい話です。ホントにそこまで行かないとだれも男子がおらんのかと。実は、いるんです。それでも近世まで行っちゃいますけど、フタケタはいるっぽい。でもどうやら彼らは、寺に出家して皇統から離脱したようです。おそらく昔は男子が生まれすぎると、宮家を増産しないで、人数調整を図ったのでしょう。で、明治になってそんなことができなくなって、皇族がドバッと増えていたと。
まうそういうわけなんだそうで、普通に考えればお家断絶ですよね。それに、旧宮家のかたがたにしたって、純粋に血統で、今上天皇とつなげようと思ったら、南北朝時代まで行かないといけないのですけど、それでも天皇になっちゃっていいんですかね。すでに男ならいいっていう問題を超越してませんか。おいおいこれどうするんだよ。考えすぎでお腹空いちゃったじゃないか。