札幌2番勝負

遅い夏休みで帰省中です。あまりに偶然に家族の大事な用事と時期が重なったために、骨休めのはずが、日々多忙を極めております。映画に行く時間ぐらいはあるのですけどね。にしても忙しい。
さて。本当は3番勝負にしたかったのだけど、最近は考え事も多く、3本目を観ると(それも「釣りバカ日誌15」だと)いままでの作品の記憶が吹っ飛ぶ恐れがあったので、無理はしないことにしました。前述の都合で感想を書く気にならずに引っ張ってきてまして、そろそろ記憶が危ないのですが、観たという証拠を残すぐらいはしておきたいと思います。

この作品に関して僕がもっとも感謝すべきはタランティーノですね。彼が主演男優賞を与えていなかったら、僕はこの作品を知りつつも、観る機会がなかったでしょう。彼の評価が正当だったかどうかは、問題ではない。
なかなか機会に恵まれなくて、是枝裕和監督の作品はまだこれで2本目。決して商業的な作品を作る人ではないので、もっとたくさんの作品を観ないとまともな評価なんてできっこないと思うのですけど、仕方ない。唯一観た「ディスタンス」を手がかりに感想を書くことになりそうです。だいたい、こうやって前置きが長くなっているときは、感想を上手く言葉にできなくて困っているとき。
全体的に、よくできた作品だなとは思いました。「ディスタンス」のときもそうでしたけど、閉鎖された特殊な環境にある社会がどんなふうに歪んでいくのか、あるいは歪んでいたのか。それを通して一見開放されているかに見える社会の歪みを暴こうとしているのが分かります。それはとても面白いし、僕の興味を思いっきりそそります。
ただ、正直なところ、ずいぶん役者に助けられていたなあという印象です。役者といっても素人とも玄人ともつかないような子役が中心ですが。その子役たちが、とてもよく頑張った。やはり柳楽優弥という少年は群を抜いていて、存在感にしても、感情の変遷の表現にしても、立派です。これから先、役者として大成するかどうかはちょっと分かりませんが。大人も頑張りました。とくにYOUはとてもいい演技をします。ただ、「いい演技」と「的確な演技」とは、ちょっと違う。
それは脚本の問題じゃないかと思います。べつに史実に忠実である必要はないんです。でも、あくまで大人の勝手な都合で起こった惨劇なのに、「親たち」の目が優しすぎる。子供の視点からすれば、頼ることのできる数少ない人なのだから、「それでも」優しい人だという認識はあったかもしれない。けれどもスクリーンには、あのような事件を発生させるような親、という事件の描写に決定的に必要な部分が欠けている。それゆえ、「それでも」まだ平和だった頃から、崩壊してしまうまでのプロセスを、うまくグラデーション化できていないのだろうと思います。
などという戯言を書きつつもですね、そのような批判が監督の想定の範囲内でしかないんじゃないかという想像をしています。というのも、気持ち悪いぐらいに平和な雰囲気を随所で作り出しているからなんですね。ひょっとすると、世間では想像を絶する、あくまで非難されるべき社会の出来事なのだけど、彼らには彼らの、一瞬だけれども確実な豊かさというのもが存在していたということを、あるいは描きたかったんじゃないかと思うのです。もしそうだとしたならば、それでよかったんじゃないかなあなんてことも考えます。ちょっと眠くて、うまく書けませんけど。

是枝監督が、史実のどの部分を、なぜ、どのように作り変えてフィクションとしていったのか。いちいち調査するつもりはないけれど、「なぜ」については、ぜひとも知りたいですね。なぜ、素直に表出しなかったのか。というのも、黒木和雄監督の場合が対照的で、井上ひさしによる完全なフィクションを原作とし、舞台の二人芝居の雰囲気をかなり残した脚色をしながらも、表現としては黒木監督の実に素直なメッセージを載せているように思われたからなのです。
映画版「父と暮せば」は、原田芳雄宮沢りえのほぼ二人芝居の形態を取ります。ほかのキャストというと、エキストラを除けば、浅野忠信と名前は知りませんが(スタッフロールにも登場しない)図書館員の女性ぐらいじゃないかと思います。彼らの登場シーンはごくごく限られています。映画としては非常に風変わりです。
しかし、僕が芝居も時折観るせいか、そもそも作品の質が高いせいか、高い撮影技術のせいか、ともかく、芝居的な形態に違和感がないのが不思議です。おそらくありとあらゆる要素がそうさせているのでしょう。原作の緻密さや表現の豊かさ、展開の移り変わりの美しさ。脚本。演出、演技力。セット、小道具。音楽。カメラワーク。すべてにおいて素晴らしいと思います。
なかでも目立って素晴らしいのが、主役両人の高い演技力と、脚本の言葉の美しさです。宮沢りえが本当にすごい。すっかり、日本映画に欠かせない大俳優になりました。その演技とスター性には、ただただ感心するばかりでした。そして、彼女らから発せられる広島弁は、現地の人々からすると違和感があるのかもしれませんが、少なくとも東日本の僕にはそれを感じさせず(どんな異郷の言葉でも、いい加減かどうかはすぐに分かる)、時々うまく聞き取れなくなることも納得づくで楽しめます。
ここまでよく作られていると、スクリーンと僕との間に、とても大きな信頼感が生まれてきます。つまり、作風やディテールについてつべこべ考えることを一切放棄して、心から作品を楽しめるのです。とくにこの作品は、戦争や原爆のむごさや取り残された人々の苦悩を見事に表現してあるので、非常に悲しい気持ちを移入させながら観ることになりました。そして、あのような父親になりたいものだとか、あんなに素敵な人を見つけた青年のなんと幸せなことかと、思いを巡らすのです。
久々に、作品との1本勝負に負けた感じです。これを観たあとだと、続けて別の作品を観たいとは思いません。できるだけ余韻を楽しみたいとさえ思います。それから、いつか舞台版を見たいですね。ぜひ。