見てしまったら愛さずにはいられない「茶の味」

一昨日、昨日と東京で映画を観まして、本当は観た順番に感想を書いていけばいいものの、ひとつだけ強烈なインパクトを放つ作品があって、まずそれの感想を吐き出してしまわないことにはどうにもならなくなっております。それが「茶の味」です。結果から書いてしまえば、今でもプログラムを見ながら油断をしていると、うっかり目頭が熱くなってしまいそうな、そんな作品でした。その感情はストーリーそのものの刺激というより、日本映画の魅力を改めて認識してしまって、ああ日本人でよかったなどとふける感慨に由来しています。
日本映画といっても、一言に日本で撮影されたり、日本人が撮影した作品のことを指すわけですから、様々な作風があっていいし、そのほうが面白いです。ただ忘れてはいけないのは、それでも日本映画の「真髄」があって、実験的だったり個性的だったりする作品は、その真髄によって帰属が許されているのだということです。本流を失えば、支流の存在意義も失われるというわけです。
その真髄とやらがどこにあるのかと問われれば、僕にはよく分かりません。逃げてすいません。ただ「茶の味」は、あれだけCGを使ったり、非現実な世界が含まれたりしていながら、堂々と本流を歩んでいるような気がしています。日本映画の世界を一歩前に突き出したような、そんな感動を味わうことができました。
設定は栃木県の農村。そこに暮らす家族の物語です。とはいっても物語として成立するには日々の出来事が些細です。あくまでも日常を捉えること、そしてその日常のなかにも小さな心の揺れがあって、それを丁寧に捉えゆくこと。まるで小津安二郎を現代によみがえらせたかのようです。いや、登場人物の描写、とくに主人公兄妹の落ち着きとぎこちなさに関しては、もはや小津どころではない絶妙さがあります。
この作品の場合はとくに、CGやアニメーション、あるいは強烈なキャラクターたちと現実との調和に見とれます。いくら強烈であっても、誰しもが心のなかにそれを携えていて、それを本当にうまいこと表現しています。それらの光景は、生身の人間からは絶対に乖離していないし、乖離し得ない非現実であり、農村のもつゆったりとした時間のなかで生きつづけるのです。だからこそ、おじいちゃんの遺作にほろっとさせられるのでしょう。
それにしてもキャスティングが非常に贅沢です。そして見事です。主要な出演人の演技もすばらしいのですが、チョイ役にも大物が次々と登場して、楽しいスクリーンになっています。これから観る人のために、そこだけは言えませんけどね。
評判がいいと知りながらも、ただ相武紗季が出てるよなあという程度の心積もりで劇場にやって来てしまった僕は、完全にノックアウトされました。そして「茶の味」を愛してしまいましたとさ。
(追記)ところで僕はいま、北関東と映画の関係について考えようとしています。西日本、とくに瀬戸内一帯には、ノスタルジーを喚起させるようなものがあって、いまや日本映画の主軸と化していると思います。そのことはid:tarchin:12340002でコツコツとメモを取っている通りなのですが、では現実というものを表現するのに適当な場所とはなんだろうかと考えたとき、ひょっとするとそれは北関東なのではないかと。機を見て調べてみるのも、悪くないかもしれません。