投資の正義の第二側面

なんと、いまから飛行機に乗るのれすよ。我ながらすごい。もっとも、自腹じゃないけど。
さて。荷造りまでのほんのひととき、投資の正義について書いてみようかしら。難しそうであって、実はなんのことはなくてね。いいものには金を払おうというだけのこと。欲しいかどうかという次元より一歩先に出て、売り上げを、質に対する評価の基準と捉えたいと思うのですよ。当たり前だと思われてたらいいのですが。たとえば将来性を見込んで、いずれいいものを作るという自信があるからいまのうちから購入し続ける、というのもアリですね。これを、僕は投資の正義と呼ぶわけです。
で、今日の本題はここからです。第二側面について考えたいと。この間の文化祭、よく思い出してみれば、子供たちがかなりたくさん来ていましたね。そのことに言及しているサイトさんもありますし。中学生以下500円というのは、誉めるべき設定です。たしかにね、交通費のほうが高くかさむ場合も多いですよ、幕張でしたから。でも、中学生程度だと、入場料を交通費込で換算したりなんかしません。あのお小遣い程度の価格だから、たくさん来れた。たとえ概算入場者数にオーディション参加者を含んでいたとしても、一向に構わない話なわけで。
やっぱり、中学生か高校生の世代にそっぽを向かれたらおしまいです。大人がどんなに投資しても虚しい話。彼ら彼女らの羨望の眼差しこそが、新しい文化を創るはずです。そこで投資の正義論ですが、第一の側面がソフトに対する評価や将来性であるならば、子供に低料金で楽しむ権利を与えることが、第二の側面として成り立つように思います。子供たちがお小遣いで楽しめるように、大人はちょっと多めに肩代わりをする。もっともこの場合、そもそもの料金設定にかかわる問題なので消費者にできることは限られますが、どうあるべきかという点では、かなり明確になっているはずです。