今更ながら「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定マジックにうっとり

いつか見よう見ようと思いながらも、心のどこかが「はんかくさい」と言い続けておりまして、今日の今日まで延ばし延ばしでありました。ただね、今年だけで30本とか観ちゃうと、逆に見逃すことにためらいを生ずるのです。
そんなわけで、女性ばかりでごった返す劇場に足を運んでまいりました。結果から申し上げれば、かなりまともな作品でした。なんだかいい評判を聞いたことがなかったのでどうしたものかと思ってましたが、きわめてお行儀のよい正統派で、お見事でした。いま日本映画が欲しているものがそこにあったようにさえ感じられます。
原作を読んでいない身で申し上げづらいのですが、たしかにストーリーそのものにたいした重みはないですね。長い長い思い出話があって、婚約者がいるにもかかわらずそれをグダグダ引きずってる男がいて、婚約者もまた一緒になってグダグダして、最後には解決したように見えるけど、決して彼が成長したというわけでもなさそう。というか、婚約者の立場ってなに。まさに、男の妄想です。でも、女性客は泣いてたなあ。こういう小説を書けばモテるのかね。
映画の世界で言うと、大林宣彦監督「なごり雪」に非常によく似ています。東京から遠く離れたところを舞台として、ちょうど30代の人たちのノスタルジーを存分にかき立てつつ、そのレトロで清楚な青春を描く。その思い出の女性はもういない(「なごり雪」では危篤状態で始まりましたが)。そして男は現実に帰っていく。僕は、こういう話を決して嫌いじゃないですね。
ただ、思い出とするストーリーが、単純で幼稚なのです。だから、もしも誰か違う人がメガホンを取っていたならば、「それなりの」作品ということで片付けられてしまったかもしれません。しかし、その単純さと幼稚さが、行定勲監督にとっては逆にプラスでした。ここがポイントです。
監督が、日常を撮りたいといって製作した「きょうのできごと」は、日常のクセしてなんでもない色んなことを詰め込みすぎてしまい、ゆとりを欠いてしまったので失敗でした。その点、すでに原作のある「世界の―」は、余計な日常をかなりカットしてあるので、逆に、捉えたい日常を存分に描ききっている。そういえば、彼のデビュー作「ひまわり」にも、ストーリーが似てますね。
さすが行定、ひとつひとつのカットの美しいこと。ちょっと手持ちカメラが多過ぎるのが目立つものの、冒険しないながらも巧みな光の演出と画面構成が、作り手と観る者との間に信頼を築きます。湧き上がるであろうノスタルジーも、こみ上げる涙も、この映像美を抜きにしてはあり得なかったはずです。
そして、とにかく褒めて褒めて褒めちぎってしまいたいのが、長澤まさみですね。上に挙げた「なごり雪」がデビュー作だった彼女は、いったいいつの間にあんなに腕を上げたのでしょう。清楚さと、純朴さと、かわいらしさがあって、色白で、すらっと足が長く、賢く、運動もでき、ちょっとおてんばで、ちょっと舌ったらずという、「描くべき理想」を見事に演じきっておりました。圧巻でした。完璧でした。もちろんキャスティングした人も偉い。
これはかなり上質な日本映画に仕上がっていると思いますよ。やっぱり行定監督はすごいです。御見それいたしました。
ところで、スタッフロールを見て初めて出演していたことに気づく面々が、相変わらず居ります。尾野真千子はどこに出ていたんですか。
(追記)サントラのピアノ、下手糞でちょっと困りました。なんすかあれ。
(追記2)長澤まさみのデビュー作は「なごり雪」ではないそうです。スタッフロールに「新人」って書いてあったように思うんですがね。勘違いかしら。ちなみにあのときの演技は、大根でした。