「タカダワタル的」とその上映後イベント

この作品を見る前は、ヘロヘロでした。もう眠いわだるいわで、観に行くのをやめようかとも思いましたが、結果的に、昨日観ておいてよかった。というのも、今日だったら、上映後イベントのせいで夜行バスに乗れなくなってしまう。
さて、高田渡ドキュメンタリー映画なのですが、どう感想を言ったらよいものか。きっと僕の立場を書かないといけないと思うけれど、僕は高田渡をここ5,6年ほど、好きで聴いています。一時はフォークというジャンルにはまってしまって、おかげさまで西岡恭蔵とかなぎら健壱とか早川義夫とかのCD(当然、かつてレコードだったもの)をいくらか持っている。そういう立場。
で、その主観で言うと、非常に物足りない。もちろん、ライブ映像はフルコーラスで編集されていて、それには感心もしたけれど、じゃあなんで「自転車にのって」や「アイスクリーム」がないのかとか、これまでの軌跡を入れないのかとか、とかく不満が多い。映画としてはね。もっとも、ただのアーティスト特集みたいな映像であれば、かなり楽しい。プライベートの映像がたくさん出てきて、人となりが少しずつ分かってきた。
この点については、上映後イベントに登場したタナダユキ監督は、「高田渡入門編として観てほしい」と述べました。そして、ある雑誌にドキュメンタリーとして掘り下げが足りないと批判されたことに反発しておりました。なんでも、この人は完全な雇われ監督で、監督に就く前から撮影は進んでおり、さらにはじめは高田渡を故人だと思っていたとのこと。技術だけを携えて監督になったというわけ。
僕は主観を捨てるために、先ほどから「ジェームズ・ブラウン的」という作品を勝手に妄想しております。たしかに、完全な初心者であれば、少なからず衝撃を覚えられる作品になっているかもしれない。その意味では、東京国際映画祭で上映されたことはよかったわけですね。「ごあいさつ」の字幕をどう作ったのか気になります。
ただね、やっぱり掘り下げは足りなかったわけだよ。もっと周囲の人たちの声も取り入れてよかったし、監督はもっとべったりと密着取材すべきだった。件の雑誌編集者には、フィルムの向こう側を見透かされちゃったということでないの。
ちなみに上映後イベントは実にいい加減でした。ゲストのタナダ監督、杉作J太郎轟夕起夫による鼎談だったのですが、なぜか開始5分で高田渡そっちのけでモーニング娘。トークですよ。杉作は梨華ちゃんあいぼんだって、要らん話ばっかりしないでください。挙句の果てにモーニング娘。のドキュメンタリーを作ろうとか監督と約束しないでください。でもそれは作ってください。僕からもお願いします。
そしてそして、最後に特別ゲストとして高田渡本人が!これにはたまげた。まさか拝めないだろうと思われていた人物が眼前に現れたのですよ。ちょっと挨拶だけ、というところでしたが、もう十分すぎます。これだけのために新宿にいたと言ってもいいぐらいです。
だれよりも高田渡が1番しっかりしたトークを展開しだしたのには恐れ入りました。彼が金子光晴の詩に曲をつけたくて挨拶しに行ったときの話で、「もう世に出てしまったものは、うんこでありおしっこです」と言われたと。そして高田本人も、誰が作って歌ったか、その声さえ残らずに、ただ歌だけが残っていくのが理想だと語りました。ああ素晴らしすぎますよ。著作権だなんだと言っている連中に聞かせてやりたいですよ。
そして前半の鼎談について高田氏は「全部聞いてましたよ。無駄なことを喋ってるなあと思って」。杉作がえらく萎縮してました。結果的に贅沢なイベントでした。