このくにのかたちをおもう
夏休みを終えて戻ってきた。帰省した札幌は、帰省した途端に常識外の残暑に見舞われ、なんのための休暇だったのか疑問であった。父親は自動車を走行中に、逆走する軽自動車にぶつかりそうになったそうだ。その運転手は逮捕され、飼い猫が死んでむしゃくしゃしていたと供述しているらしい。なぜ猫を追ってさっさと死ななかったのか。その程度の絶望に付き合っている暇はない。国家予算に無駄が生じる。
それにしても、また総理大臣が代わるんだろうか。バカもほどほどにしてほしいが、もはやそれは正論ではない。経済よ、お願いだから、この国の政治にこだわらず、勝手に動いておくれ。この国の政治になにかを求めることは間違っている。端的に言えば、なにも作戦はない。
経済が勝手にしてくれるなら、政治はなにをしても文句は言われまい。あの政権政党はなにをされているのだろう。総理は代表選挙に落選したら、現状の政策を継続すべく、離党して新しい連立を作ってもいいのではないか。本気なら、ではあるが。
ちなみに北海道に滞在して、少なからず、北海道経済を立て直すヒントを見つけた。それは本気になることだった。北海道民が、北海道民の手によって、本気で北海道を運営する覚悟を決めること以外に、方法はない。そのために不便になることがあっても、仕方がなかろう。覚悟があれば、なんとでもなる。そのことにあと何年経てば気がつくのだろう。
ところで、いまこれを読んでいる。
ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)
- 作者: スラヴォイ・ジジェク,栗原百代
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/07/07
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ただし、簡単なのは学生だ。この本でゼミを開いて知見を深めることを祈ろう。わたしも動こう。