このくにのかたちをおもう

夏休みを終えて戻ってきた。帰省した札幌は、帰省した途端に常識外の残暑に見舞われ、なんのための休暇だったのか疑問であった。父親は自動車を走行中に、逆走する軽自動車にぶつかりそうになったそうだ。その運転手は逮捕され、飼い猫が死んでむしゃくしゃしていたと供述しているらしい。なぜ猫を追ってさっさと死ななかったのか。その程度の絶望に付き合っている暇はない。国家予算に無駄が生じる。
それにしても、また総理大臣が代わるんだろうか。バカもほどほどにしてほしいが、もはやそれは正論ではない。経済よ、お願いだから、この国の政治にこだわらず、勝手に動いておくれ。この国の政治になにかを求めることは間違っている。端的に言えば、なにも作戦はない。
経済が勝手にしてくれるなら、政治はなにをしても文句は言われまい。あの政権政党はなにをされているのだろう。総理は代表選挙に落選したら、現状の政策を継続すべく、離党して新しい連立を作ってもいいのではないか。本気なら、ではあるが。
ちなみに北海道に滞在して、少なからず、北海道経済を立て直すヒントを見つけた。それは本気になることだった。北海道民が、北海道民の手によって、本気で北海道を運営する覚悟を決めること以外に、方法はない。そのために不便になることがあっても、仕方がなかろう。覚悟があれば、なんとでもなる。そのことにあと何年経てば気がつくのだろう。
ところで、いまこれを読んでいる。

軽いのでいいなと思うぐらいで買った本だが、これは教科書だ。前半をもうすぐ読みきるたが、もういちど読み直して、ノートにまとめないと、「いま」が分からない。いままでふと疑問に思ったあらゆることが、ポストモダンによって明らかになる。それはただの痛快でなく、なんとかしなくてはいけないことばかりだ。しかし、闘いだ。資本主義に組み込まれるととやかくできることが少ないかもしれないが、できないわけではなかろう。
ただし、簡単なのは学生だ。この本でゼミを開いて知見を深めることを祈ろう。わたしも動こう。