あらためて市川準監督を想う

旅行記をちょっと休憩して、久しぶりに映画の話題をしたい。いや、あまり映画っぽくないかもしれない。
ファンとしては、いまこれを読まないわけにいかない。

市川準

市川準

もうすぐ読み終わるところだが、まさかこんな書籍が、こんな大きな出版社から出されるとは思ってもみなかった。かれこれ10年近く市川映画のファンなのだけれど、ファンを公言する人に出会ったことがなかっただけでなく、市川準を知っているという人が周囲にほとんどいなかった。けれども、関係者が大半とはいえ、たくさんの人々が彼の死を悼んで寄稿している。忙しそうな人たちが数千字も。
誰の文章を読んでも、監督の人となりがぶれていない。イッセー尾形は「CM業界に向いていない」というけれど、ガツガツした肉食獣の世界からすれば異端の人だったのだと思う。じーっと見ていないと分からないことって、ある。ちょっと見て分かった振りをするのは簡単かもしれないけど、いつかそれはばれる。もっともCMぐらい短い時間、短い賞味期限であればばれないうちに終わるのかもしれないけれど、監督はそれを許さなかったのだと思うし、映画ではもちろんそこにこだわった。
病院で死ぬということ』の冒頭や市井を撮った映像、『大阪物語』の冒頭、若菜ちゃんが語るシーン、『東京夜曲』のラスト、たみさんの自転車のシーン(その直前の桃が届くシーンも)、『BU・SU』の浦安のシーン。いまさら書くことではないけれど、やっぱり女の子の描写がすごい。ときどき、ああ監督なら、この人をどうやって撮ってくれるんだろうなあ、なんて考える。そう思わせる女の子は、僕の好みなのも言うまでもない。生意気だけど、その辺の感性が近い人だった。
いろいろな人が寄稿するなかで、いちばんうれしかったのは岩井俊二だった。彼をして偉大な監督と言わしめるなんて、思っても見なかった。もちろん監督を見くびっていたのではなくて、なんとなく違う世界の人だろうと思っていたから。曰く、監督には方程式があって、それを検証するために映画を撮っていたと。黄金比だと。そしてその方程式を実践した作品のなかに『東京マリーゴールド』をあげてくれたことがたまらなくうれしい。
東京生まれ東京育ちの監督には、「故郷」がないコンプレックスがあったようだ。東京生まれの市川準と、満州育ちの山田洋次が似た感覚を持っていたことが興味深い。ふたりとも、故郷とはなにかについて考え、日本を撮りつづけていた。山田洋次が日本を探して各地を撮ったのに対して、市川準は生まれ育った街を撮ることで、その答えを探していた。監督には答えが見つかったと信じている。郷愁こそが故郷なのだという答えが。東京育ちの人にこそ知ってほしい感覚だと強く思う。
これまで東京国際映画祭新文芸坐で追悼上映があったが、来週からはユーロスペースで1週間、旧作が一挙上映される。すごいことだと思う。せめて1度ぐらいは足を運びたい。