最期の授業

出かける前から、タイトルはこうつけようと決めていました。僕にいろんなことを教えてくれた、紺野先生の最期の授業にいってきました。でも、いまは余韻を愉しんでいるので、詳細はできれば後日で。思い出せたら、の話ですが。
とにかく、いっぱい名前を呼び続けました。アンコールまでの束の間もずうっと。誕生日のお祝いも、大きな声でしました。大団円のいいお祝いでした。あんなにたくさんの人から名前を呼ばれたのって、初めてかもしれませんね。
けれども、こんこんは泣きませんでした。そこには、誰が見ても分かるような、強い意思をもった眼差しがありました。こんこん、本気なんだな。その姿は、ものすごく格好よくて、かわいくて、しゃんとしていて、いつも通りなのでした!
そして、僕も泣きませんでした。「愛あら」のときにちょっと危なかったけれど、まだ、頭で分かっていることが、本当のこととして染み渡ってこないからだと思います。きっと、泣けてくるのは、もっとずっと後になってからなんです。映画『東京日和』の主人公のように、ずっと後になってやっと、いないということに本当に気付くのだろうと。
今日は思い切り楽しんでしまいました。こんなにいいコンサートは滅多にない。いまはまだ、その余韻しか味わえないのです。