侯孝賢は僕に金を返せ(映画東京5番勝負)

感想を書くのを怠りすぎて、6本も溜まってしまいました。ある意味では記憶を薄れさせないためにここに書いているというのに。しょうがないので、記憶の限りで精一杯何とかします。はい。
まずは、東京に出発する直前まで観ていた作品から。

上のリンク先、公式ですよね。たぶん。
この作品を僕は、春に就職活動しているときからずっと目をつけていたのですけど、どうもほかの作品の優先順位が高くて、ついぞ見られなくなってしまっておりました。それが盛岡に来たということで、嬉々として映画館に行ってまいりました。そこの映画館、最近またマニアックな感じのものが増えてきました。助かります、ほんと。
実はかなり眠くなる作品でした。ただ、ルーブル美術館という、遠くにあるが故の、まるで憧れのような存在の裏を暴いちゃったお茶目さは魅力的でした。館員たちは、美術館の持つお堅いイメージとは裏腹の、非常に人間味ある触れる面々です。規律は守る、服装は正しく、そして上品に。それはしっかりと守られているのですが、それでも浮き出てくるものは出てくる。それが個性というものですね。そしてなんといっても、館員たちはすべての美術品を把握できていない! 倉庫にはお宝級(っぽい)美術品がゴロゴロしていて、あまりに多すぎるので、それをまたいで歩きます。
噴き出しそうになったのは、金箔工が修復するシーンと、トレーニングルーム。前者、金箔を貼り付けるのに、筆で髪を撫でます。どうも整髪料がいい接着剤になるようで。そして、美術館にはなんと、筋トレ部屋があるのです。男たちが懸命に汗を流しておられました。
日本の美術館の裏側ってどんなでしょうかね。かなり公務員然としていて、ひょっとすると面白くないんじゃないかと想像しますが。もっとも、日本の美術館員の多くは、本物の公務員ですしね。
あまり感想になっていませんが、大して面白くなかったので、そんなところで。では、東京5番勝負。

  • 「風音」

当初、あまり興味がなかったために敬遠していたのですが、モントリオールで賞を獲ったのですよね。だから、というのも嫌らしいですけど、受賞作をただ敬遠するというのも勿体無い気がしましたので。
これは、やっぱり風音という、死者の頭蓋骨に開いた銃弾の穴を、潮風が吹き付けて鳴る音にまつわるストーリーなのですよね。おそらく。とすると、メインは少年(伊集朝也)でもなくその母親(つみきみほ)でもなく、頭蓋骨のことを唯一知っている老人(上間宗男)と、それを探しに来た老人(加藤治子)のふたりということになります。たしかに公式サイトでの扱いもそのようになってます。
しかし、映画を観た限りでは、少年と母親のストーリーがかなりの時間を割いているし、どちらかというとこちらがメインかと勘違いをしそうになります。というか、やっぱりこの作品の筋ってなんだろう。
そんな、きわめて散漫としたストーリーでした。「わたしのグランパ」のときもそうでしたけど、光石研のあの役どころというのはなんとかなりませんかね。ストーリーを滅茶苦茶にする暴れん坊でしかないことを、監督は分かっているのでしょうか。僕にはそれがよく分からない。
それから。上間が懐中電灯を持って頭蓋骨を観察しに来るシーンがあるのですが、懐中電灯がカメラレンズに反射して、無用な箇所が光るんですよね。あれ、どうしてミスじゃなかったんでしょう。たしかに上間は役者ではなくて素人だから、その配慮は出来ないだろうけれど、それでもなんとかなるでしょう。あと、戦時中を演じたふたり(細山田隆人加藤未央)は、表情が健康的過ぎないか。
というわけで、映画界にはびこる、沖縄で作品を作ればなんとかなるだろうという病を覆すだけの力をまったく感じない作品でした。僕は、この監督の作品と相性が合わないのかも。

  • 「淑女は何を忘れたか」

小津安二郎です。テアトルタイムズスクエアで小津特集をしていたのですよね。なんとか行ってきました、飲み会が終わってクタクタでしたけど。
僕は小津映画というと、戦後の文芸作品ばかり観てきたもので、これはかなり新鮮でした。カットの編集や演出はこの頃から「いかにも小津」な感じですね。ただ、非常にテンポのいいコメディで、とくに散歩から帰ってきた旦那が、状況が悪くなって再び散歩に繰り出そうとするシーンとか、最後にハッピーエンドになって旦那が廊下ではしゃぐシーンとか、今でも十分に活かせそうな箇所がふんだんにありました。面白かったです。
ところで、節子役の桑野通子という役者、目の切れ方がものすごくきれいですなあ。どんな人かと検索してみたらgoogle:桑野通子。アイドルですよこの人。扱いが完全にアイドル。ファンサイトらしきものまであります。すごいなこの人。美人薄命とはこの人のための言葉のようだ。

田口トモロヲ主演のプロレス作品です。正直に言って、今回見た数本のなかで、1番面白かったですね。如何せん、プロレスというのが力技ですが。
前半は面白くなかったんです。脚本が良くなかったんだと思いますけど。どうにも主人公の影が薄くて、脇役がでしゃばっているように見えてしまうのです。もちろん前半よりも後半のほうが主人公が目立つストーリーなのは分かります。でも、脇が出てきちゃまずい。あくまで、影が薄いことを精一杯表現しないと、ストーリーがよく見えてこなくなります。猪木ヲタなんだから、ヲタらしさをもっと見せてほしかったし、学生時代のストーリーが圧倒的に足りなさすぎます。
後半が抜群に面白くなったのは、なんといっても田口トモロヲの演技力です。ああいうのを役者魂というのでしょうか。しびれる名演技です。ものすごい肉体改造をしちゃって、胸板なんかえっらい分厚いし。目は瞳孔が開いてます。そんなイッちゃってる主人公が、家族が普通に食事を取る横で、どぎついスペシャルドリンクを作って一気飲みするシーンは、爆笑です。そして、猪木ヲタの集う飲み屋で、主人公の頑張りを見てヲタ帰りしてしまった人びとがブツブツと語り合うシーンは、僕みたいな人間にも思い当たるところがあるので、ホロッとさせられちゃいます。
クライマックスの試合のシーンは、僕が観たいくつかのプロレス映画のなかでは1番ショボいです。ただ、現役のプロレスラー・ハヤブサ田口トモロヲの真剣試合なので、まあ仕方がない部分もありましょう。そういう制約のなかでは、かなり演出が工夫されていて、面白かったです。試合後に奥さんをリングに上げて大暴れするところで終わるのと、その後のマイホームでのシーンがあるのとでは、どっちがスッキリしてただろう。少なくとも、家出のシーンがあることで、プロレスラーである以前に一家のお父さんだということが強調されたと思うけど。
とにかくこの作品は、男の映画ですね。格好悪いことがなんて格好いいのか、という男の映画。反面、というべきか、女性の演出がどうも良くないです。筒井真理子は辛い立場の奥さんというよりも、病的で痛々しいし、伊藤歩蒼井優の姉妹役も、どうもしっくり来ない。僕にもよく分からないけれど、スタッフのなかに、もっと女性の心情をきちんとつかんで演出できる人はいなかったのでしょうか。なんだか表層的な感じを拭いきれません。

やっぱり感想は溜め込むべきでないですね。全部を書くのに時間はかかるわ労力は費やすわ。早く書いてゼミの準備をしようと思ったのに、もう夜中です。
ほかの方々がこの作品をどんなふうに評価しているのかを、僕はよく知りません。面白いとする人とつまらないとする人がいるという話をどこかで聞いた気がしますが。あとでいろいろ読んでみようと思います。いまは敢えてどこも読まずに、感想を書きますよ。
この作品は小津安二郎生誕100年の記念事業の一環で製作されました。いわば小津へのオマージュなんだそうです。監督は台湾の侯孝賢。スタッフも主要なところは台湾の人が務めているようです。
僕の不満は、その小津を意識して製作されたという点にあります。そうでなければ、侯孝賢という人物はあのような作品を作る人なのかと思うだけのことです。僕が映画をまったく観ない人であれば、文芸作品とはこのようなものかと感心したかもしれません。だから監督に悔しがっていただくとすれば、僕が今年、50本以上も映画館で鑑賞しているということでしょうか。
ずいぶんな嫌味を書かせていただきましたが、実に酷い作品でした。つまらない。というか、これは映画ですか。この作品を観て、小津安二郎はつまらない映画を撮る人だったのかと思われるのが、あまりにも心外です。
いやもっともですよ、監督のほうが僕よりもずっとずっと小津のことを知っていて、ずっとずっとたくさんの作品を観てきたでしょう。たくさん研究したでしょう。で、どうしてその研究成果を見せてくれなかったのか。結局のところ、小津っぽかったのは、主人公の実家の茶の間のカットと、電車のなかのシーンぐらいでしょうか。
でもまさか、世界的な監督がこんな酷いものを易々と作るわけがない。何か意図があるに違いないし、僕が気づいていないだけで、見方を変えると素晴らしいものなのかもしれない。そんなふうに思って、公式サイトをのぞいてみたのです。監督はこんなふうにコメントしています。以下、引用。

小津監督は本当にスタイリッシュで厳密な監督だと思います。小津監督と私の撮影のスタイルはまったく違います。ただ、小津監督は、自分の生きる時代の社会を描き、そこにある心情を反映させてきた方です。その場所に生きているものを描いたという点では、この作品も同じであると思います。

たしかに小津作品はまったくノスタルジックではありません。コカコーラの看板が登場したり、子供たちが英語の勉強をしたりしています。電車や工場の煙突も、当時とすれば近代的なものです。では侯孝賢はどうなのか。都電荒川線沿線や、御茶ノ水、有楽町、あるいは高崎といった場所が、いまの社会を反映する鏡と言えるのでしょうか。どうして新宿や渋谷や池袋を、もっと真剣に捉えようとしなかったのでしょうか。しがない喫茶店でホットミルクを飲んだり、近くの喫茶店に一杯のコーヒーを宅配させたり、登場人物に堅気の仕事についている人が主人公の父親だけだったり、主人公が台湾の人との間の子を妊娠していて、江文也を調べていることが、「その場所に生きているものを描」く行為として、適当だったのでしょうか。
演出もよくないですね。小津は衣装のしわのひとつにまで注文を入れたと言われるし、笠智衆はただ監督の言われるがままに演技しただけと言い続けました。この作品にはそのようなこだわりを見つけられません。それをスタイルの違いと切って捨てるのは結構です。自然体の演技とやらをしたというのなら、それも結構。しかし、映画にとって大事なことは、単に日常を撮っているだけに見えても、それが作為的に作られた日常であり続けるということ。さすがに監督もそれを理解していると信じますが、一青窈にはそのことが分からなかったようです。だったら主役から降ろせよ。
一番ダメだったのは、ほかでもない、ストーリーですね。それがあったのかなかったのか。主人公の立場や心情に、何か変化があったのかどうか。それがさっぱり分からない。まだ何かいい足りない気がする。一青窈の「高崎」という発音が良くないし、せりふに「なんか」という言葉が多すぎる。小津ならとび蹴りじゃないですか。キャストの最後に蓮實重彦の名前がありましたが、なんだか作品を悪く言わせないための策略のような気さえ。実際に蓮實氏出演のシーンはカットされたようですが。
ひとつだけ。光の使い方はきれいだったと思います。シーンのひとつひとつの情景はなかなかいいのです。それを本当によく活かしてほしかった。松竹の関係者は、こんな作品になってしまったことに、なにも思わないのだろうか。

もう、感想を書くのがしんどいです。早く寝たいです(翌日の1:11AMに書いてます)。
山下敦弘監督、今回はかなり苦労したようですね。山本浩司を主役にせずにあのシュールな世界を展開するというのは、冒険でもあるし、絶対に通らないといけないところだったようで、青春映画でありながら、監督も青春真っ只中のような感じがしました。
そんな状況下で、水橋研二は良かったと思います。青臭い「間」の演出を見事にこなして、自分のものにしていました。もっともっと情けない役どころでも良かったんじゃないかと、ついつい考えてしまうのですが、あまりやりすぎるとストーリーが破綻しますしね。
惜しむらくは、村石千春でしょうか。いや、新人なんだし、体当たりでよくやったのだと思います。ただ、監督がどこかのインタビューで述べていましたが、監督自身が妹像をよく描けずにいたようです。せっかくの宝をちょっと持て余したでしょうか。もっと非現実な、妄想を体現したかのような妹像であってもよかったんじゃないかという気がします。その妹に対して、「お兄ちゃん」水橋研二がどんな情けなさを披露するか、というのは見ものだったでしょう。
なんて偉そうに書きますけど、原作ありきだと、あの山下節を炸裂させるのはなかなか大変なのですね。なかには原作やらなんやらでがんじがらめにしたほうが上手くいく人もいますけど。次回作も原作があるようですが、もう本気で期待してますので、なんとか山下節満載でお願いしたいと思いますよ。