女の子たちは左手を挙げて歌った—「愛あらばIT'S ALL RIGHT」のもうひとつのメッセージとは—

(2004年1月28日に掲載しました。)

モーニング娘。の2004年第1枚目のシングル「愛あらばIT'S ALL RIGHT」は、ちょっと地味だけど、久々の名曲だと、僕はそんなふうに思ってます。なにひとつ新しいことをしていない。でも、新しいことをしないという格好よさが、そこにはあります。普遍性は、実は最大の武器です。歌い継がれる曲であってほしいというのが、正直な感想です。

さて、しかしです。僕はそういうことを延々と書こうとしているのではないのです。せっかくなっちが晴れて卒業するんだからと思って、ちょっと掲載を自粛していた内容です。まだなっちの卒業の余韻に浸りたい気もしますが、別な意味でのタイミングも迫ってますし、あるキーワードで検索してみても、誰も言及しているようには見えませんでしたので、せめて過去日記として世に出してみようと。

何のことを言っているのか。おそらくこの曲、自衛隊イラク派遣への強力な応援歌になってます。もちろん字面通りの、あるいはつんく氏のコメントに補足されるような爽やかなメッセージがあるわけですが、実はもうひとつ、メッセージがあるんだと。これ、決して僕の暴走行為ではないと思うのです。ほら、たとえば菊地成孔氏の「Go Girl」評というステップがあるわけですし。

あらかじめ書いておくと、こういうこと、つまりアイドルと政治をつなげる行為を好ましく思わない人もいるでしょう。そもそも自衛隊派遣に反対している人もたくさんいます。ただ、僕としてはすごく褒めてるんです。それは、製作者サイドに対して。もちろんアイドルがイデオロギーを持つ必要はないのですよ。ただ、せっかく満を持してイラクに出発する自衛隊に対して、国民として応援することができないのは、彼らに対してあんまりだと思うわけですよ。そういう意味で、彼女たちがこの曲を明るく歌い切ることに、とても大きな意味があると思うのです。

さて、根拠を少しずつ書いていきますよ。この楽曲のキーワードは、ひとつはタイトルの「愛」。でももうひとつありますね。DVDを見ると分かりますが、ダンスの映像の合間に、パジャマ姿の娘。たちが朝日を浴びる映像が挟まれています。サビにも何度も登場する「太陽」がもうひとつです*1

ここで、ちょっと疑問があるのです。恋をしたのも、寝坊したのも、すべて見てきたのは「地球」だったんじゃないのかと*2。いや、地球でも太陽でもどっちでもいい話ですが、わざわざ同じようなことをサビに書くだろうか。どっちもシングル曲ですよ。

じゃ「太陽」って何だ。太陽というのは、たいてい、神道など多神教の神のなかではもっとも強い存在と位置づけられていますし、こと日本では「日の丸」なわけです。ここから、この「愛」というのが「愛国心」であると読み取ります。「愛するって尊い」とか「全てを重んじて」とか、中高生が使う言葉じゃないですって。これはやっぱり意味があるんです。

この色眼鏡で歌詞の大意を読んでいくと、「長いこと現地にいれば、ホームシックになったり、いろいろ悩むこともあるし、誤解を招くこともあるだろうけど、地道にコツコツ働いていれば、そのうち現地の人も分かってくれるさ。日本人としての愛国心を持ち続ければ、無事に任務を遂行でき、先方の未来も安泰であろう。国家は常に君たちを見ている。」ということになりますな。

細かいところをいくつか挙げてみます。まず歌詞から。あの、なっちのソロパート「時代はそれぞれいっぱいがんばって来たよね」ですが、これは保守的な考え方です。もちろん、なっちが6年間の思い出を語っていると思うのは自然ですけど、おかしいでしょ、「時代は」って。時代が主語になってる。つまり、これまでこの国にもいろんな局面があったわけだけれど、その時代時代それぞれに、(国益のために)精一杯の努力をしてきたわけで、そのことに対しては先人を大いに敬うべし、ということなんです。

で、ものすごく遠いご先祖様を敬ってます。文面どおりに遡ると、江戸時代まで行ってしまいます。「時代」というのが戦後史なのかと思ったのですが、かなりスケールの大きな文明史的な意味合いなのかもしれません。

それからPVですが、出だし、まず行進して登場している。行進そのものに意味がありそう。服装は、制服にベレー帽。

そしてダンスのシーンの舞台。背景に壊れたレンガ壁*3、差し込む太陽、そして娘。のいる場所だけが芝生。これ、砂漠にできた部分的な緑地帯を意味してるのでしょう。戦争に行くんじゃない、オアシスを造りに行くんだ。そんなメッセージがあるのかもしれません。イラク派遣を侵略だという人たちへの、ちょっとした牽制でしょうか。

さらにパジャマのシーンですが、あの朝日に向かって微笑むという映像には、やっぱり何かある。中国の切手の意匠とか、北朝鮮の映画のラストシーンとか、とかく太陽というのは臭い。加えてイスラム教圏では太陰暦を使うぐらい、太陽よりも月を重んじるわけで、決して現地に迎合することのないように、という思いが働いているかもしれません。ちょっと強引ですかな。

最後に象徴的なシーンです。終盤に、太陽に向かって一同整列し、左手を挙げて歌うシーンがあります。この「左手」がポイント。あれが右手だとどうなるのかというと、レーニンとかヒトラーとか毛沢東とか金日成とかフセインとかになる。彼らとは違うほうの手を使うのよ、という意志の表明ですね。あるいは宣誓。あれが何よりインパクトがあります。

と、これだけたくさんの証拠があるんですから、あながち行き過ぎた妄想という感じがしないと思うのですが。もちろんすべての歌詞や映像に意味があるかどうかは知りませんけどね。もしこの説が当たっているとしたら、僕は嬉しいですね。それこそ宮台真司氏の言うような「気分的な音楽」がだらだら流れるなかで、こういったピンと筋の通った主張を聴くことができるというのは、清々しいです。なっちが卒業しても、この楽曲が色褪せることは、しばらくないんだと、これは力強く言いたいです。

*1:ダンスの映像にも日が差してます。

*2:恋愛レボリューション21」ですよね。

*3:イラクの住宅がレンガでできているとは聞いたことがないですが。