いろんな魚がいるからいいんじゃないの

釣りバカ1作目って、昭和の松竹の匂いがまだ残ってたんだねえ。アフレコがずれまくり。そして方言も無茶苦茶。名作や大作を作ろうという肩肘張った感じが一切ない。いつでもやめられるからこそ、続けちゃうんだよね。
いや言いたかったのはそこではないんだ。スーさんが立場を語らずにハマちゃんと酒を飲んで、釣りの情熱をもうちょっと会社に傾ければ、とそそのかす。そこからハマちゃんの雄弁がはじまる。

鯖ばっかりが釣れてもすぐ飽きちゃうでしょ。鯵がいて櫨がいて鰈がいて穴子がいてアイナメがいて...ときには蟹だって釣れる。だから面白いんだよ。

これを聞きながら頭に浮かんだのは、昨今話題の"青空の10人"って言葉だったんだよね。ほしいのはずば抜けたひとりじゃない。ひとりでは心もとなくても、集め方と使い方次第で、ちゃあんと粒だってくる。もともと日本ってそんな感じだったんだろうね。新しいことなんかひとっつもありゃしない。だから面白いんだ。
やっぱり浜崎伝助は尊敬に値する。あの思想は学ぶべし。かつて外部研修に出されたとき、講師から「誰の電話応対が好きか」と聞かれて、「ハマちゃん」と言ったら周りが引いてたけど、私は間違っていなかったのだ。

はめられたのがちょっと嬉しい 『闇打つ心臓』

ネタバレが嫌なかたは避けたほうがいいかもしれません。でもバレるって言っても、予習するか復習するかの差でしかないから、行き着く場所は一緒だと思うんですけどね。って理屈っぽいか。
昨晩の映画を、いまになって「あーやられたな」と思っています。お酒が入って油断したところで観たせいでもあるでしょうが、どこまでが本編でどこからがメイキングなのか、主演の内藤剛志はどこまでが演技でどこからがマジなのか。夫婦喧嘩のテレビ番組じゃあるまいし、あとで見て恥ずかしくないのか、この編集は。などと、完全に困惑したまま劇場を後にしたのですね。しかし、ここまで人を困惑させるような脚本っていうのも、ふつうには書けないし、どうなってんだと。
それで今朝になって公式サイトでいろいろ見ていたら、ひとつもマジなんかなくて、全部台本どおりでした。メイキングと思っていたのも演技で、困惑も含めて、もうなにもかも計算づく。だから、「あーやられたな」。
23年前の8mm映画のリメイク、と思わせて、そうじゃない。当時のふたりがリアルタイムで登場して、また若いふたりがやっぱり同じ殺人を犯す。古いフィルムもふんだんに取り入れて、二重三重にストーリーがクロスしていく。しかしそこには、長い時間のなかから切り取ったほんの数日しかなくて、きっと若いふたりが20年後に同様のデジャヴに合い、それが繰り返されるだろう。そのスパイラルの一片でしかない、という解釈をしました。たぶん途中からは、解釈がひん曲がっていますが。
それをただ1度、スクリーンで観ただけで何とか解決しようと思っても、なかなかそうはいかない。映画とドラマの区別がつかなくなった原因には、即物的な解決を求めるという共通項ができてしまったからなんだと思うのですが、べつにすぐに答えが出なくたっていい。2度目には2度目の新しい発見があるのも、映画のお楽しみだと思います。その意味で、久しぶりに骨太でした。
改めまして、あーやられたなー。