ロシア美術とさまよえる小日本人

久々に旅行記を再開しよう。今年中に書き終えるように。
昨晩、うっすらと積もったらしい。部屋から真っ暗な外を見ると、地面が白い。一段と冷え込む。
昨日は日記を書きながら、何度もうたた寝をしてしまった。それは当然のこと。6時間も立ちっぱなしでエルミタージュを堪能したのだ。
うたた寝していると、ダムが帰ってきた。泥酔していた。でもそのお陰で、英語が若干優しくなっていて、聞き取りやすかった。あの医者の子の兄妹というのをべた褒めだ。まさか妹に手をつけたのでは、と疑ったが、あれだけ酔ってて手をつけるも何もありはしなかった。
泥酔のダムのそばにいると、僕までイゴールにいぶかしげに思われる。ダムは、僕のことをいいやつだとか、頭がいいとか、いろいろと褒めてくれる。きっとみんなにそういうのだろう。いいひとなのだ。ただ、僕が空港からバスと地下鉄でこの宿までやってきたことにはよほどインパクトがあったらしい。西洋人がそう思うのだ。やはりこの国は個人旅行に向いていない。でも日本もそうなのかもしれない。

(左がビリャーシとエスプレッソ。この国のナプキンはなぜか可愛い。真ん中は宿の近くのカザン聖堂、右は凍てつく運河越しの血の上の教会。)
今朝は昨日より少し早く宿を出た。ダムの起床を待つだけ無駄だと知ったのだ。そして念願のカフェで、ビリャーシとコーフェ(コーヒー)。ビリャーシというのは、ひき肉の入ったあげパンのことで、日本でいう「ピロシキ」だ。ちなみに本場のピロシキは揚げパンではなく、惣菜入りの焼いたパンのことなのだ。ショーケースから商品を選べるが、明らかな形状と、辛うじて読める値札で、ビリャーシと決めた。たぶん、ピロシキはなかった。
コーフェはエスプレッソ。僕がコーフェを注文すると、店員が「ナントカとカントカとエスプレッソ」というので、唯一聞き取れたそれになってしまった。エスプレッソが世界共通語だと分かったのは収穫だが、揚げパンとエスプレッソの朝食は、けっこうきびしい。隣のテーブルでは、夫婦がつぼ入りのスープを飲んでいる。あれをどうやったら頼めるのだろうか。
カフェでテレビを見る。CMは日本のそれに似ている気がする。かつて訪れたスペインよりも日本っぽいというか、とても分かりやすいCMが多くて、見ていて楽しい。実はこの国、かなりメディアが充実しているようだ。
ついでにもうひとつ意外なことを書くが、カフェもKFCも禁煙らしい。タバコ天国なのかと思ったけれど、この国にも時代の潮流が押し寄せてきているのかもしれない。

(左は上空に突如現れた戦闘機。ものすごい噴射力。真ん中の店は散歩の途中に見つけた。なにかというと、スシバーなのだ。)
10時半。本日の目当て、ロシア美術館に着いた。この季節だけのことかもしれないが、この国の人たちはものすごく朝が遅い。10時でも人はまばらだ。いちおう店は営業していても、人の気配はほとんどない。当の美術館も空いていた。
ロシア絵画の今昔をとくと拝見した。エルミタージュのような面白さはなくても、スケールはすごい。古いイコンの数々は、たとえ興味の薄い分野でも圧倒されてしまう。そしてロシアの画家の油絵はでかい! かの『ポンペイ最後の日』など、大きすぎて至近距離では撮影できない。またしても楽しく過ごしてしまった。13時まで滞在していた。


(左上がロシア美術館。澄んだ空によく映えている。そして内部と見物客。忘れかけていたあの民族たちよ。匂いまで思い出せそう。右上は、暇すぎて仕事を忘れた学芸員
左下が『ポンペイ最後の日』。異彩を放つ存在だ。そしてこの美術館の絵はでかい。ちなみに、携帯電話とフラッシュは禁止である。)
予定以上に滞在してしまったが、幸運というかなんというか、隣の民俗学博物館はなぜかお休み。では昼食にいたそうと、旅行書に書いてあったロシア料理店を探すも、ここも休み。人気のない路地裏のこんなところにある店を、よくまあ旅行書はお勧めしてくれたものだ。探すのに苦労して、結局営業していないのだ。
そしてさまよった。ペテルブルク随一の繁華街と、その裏を。細かい雪に降られながら。そういうときに限って、レストランが見つからない。いままであんなにたくさん見かけていたのに。よくある話だが、ときには死活問題でもある。ついでに言うと、ツーリストインフォメーションもお休みだ。もう、僕が行きたいところだけがピンポイントでお休みしているとしか思えない。