至福の時間

久しぶりの更新だ。前回、念願のエルミタージュ美術館で、目当ての絵画にたどりつく前に、天井の模様に圧倒されて、天井美術館かと思ったところで終わった。もちろん、絵画の数々にも圧倒された。
目当てでない部屋で印象に残ったのは、これらの絵画。よく知らない時代の絵画なので作品名のプレートも撮っておいたのだが、あいにくピントがぶれて読めないものもあった。帰国後に調べたら、左の絵画はロイスダールというオランダの画家によるものだという。木々と空の関係がとてもいい。決して肥沃とはいえない土地に生える灌木。ときおり人が枝を切って薪かなにかにするのだろう。おそらくこれ以上の高さには成長しない。たたずむ人びとが眺めるのはどの季節の空か。やや日が落ちかけた空に、なんとなく寂しさがある。夕方の訪れをなんの感情もなく受け入れられるようになったのはいつごろだったのだろう。

(左がロイスダール。この部屋は動物の絵画も多かった。右の柱の色がすごくいい。)
彼の絵画を見ると、なんだか落ち着く。色とか、構図とか、筆のタッチとか、ずばりこれと言えないような、要素の合作として、あの心地よさがあるのだろう。人物を描くときの距離感や突き放し方がいい。
ロシアらしさで言えば、この皇帝の肖像画だろう。ナポレオンとの戦いに勝利したアレクサンドル1世であるが、彼を上座において、ものすごい数の戦士の肖像も並んでいる。ひとつひとつ見ていくと、正面を向いたものあり、横顔あり、かなりバラエティに富んでいる。

(左の一番奥が皇帝。脇には数十メートルにわたって戦士の肖像が。真ん中は扉の上にあった装飾。何度撮ってもピントが合わない。右は帝国時代の宮廷の服装と調度品。実際の服はめっぽう可愛く見えた。)
この戦争に勝利することで、ロシアの国際的な地位が一気に上昇したようだが、他国がロシアを制することは容易でない。寒いからだ。かつて旧名レニングラードをドイツが包囲した際、多数の餓死者が出て、人肉を売る商人が出現したほどだったというが、冬になると海が凍って、そこに列車を通して食糧を輸送したのだそうだ。この輸送が長期戦を可能にしてしまった。

(美術館の賑わい。右は廊下に置かれた画材と、その影で電話中の館員。)
さて、目当ての絵画は3階にあった。ここにたどりつくころには夕方になっていた。天井の装飾もないその空間は、宮殿の屋根裏のような存在だったのだろうか。一転、簡素である。そこにあるのは、近代フランス美術であった。
どうしてロシアでフランスを、と思うはずである。かつてパリのオルセー美術館を訪れたとき、とりこになった画家がいた。カミーユピサロである。彼の描く緑色の深さと鮮やかさが、いつまでも印象に残っていた。日本にもいくらか彼の作品があるのだが、海外で見られる美術館を探していたところ、エルミタージュが見つかった。かつてエカテリーナ2世のコレクションを収蔵するための施設だったが、やがて富豪が西欧から買い付けた絵画も保存されるようになった。そのなかに、彼の絵があったのだ。
近代フランス美術の部屋と、帰りに迷子になって偶然見つけた部屋に、ピサロの絵は合計6枚あった。迷子にならなければ1枚しか見つけることが出来ず、それのために10万円の航空券を買ったのかと深い気持ちになったのだが、結果的にいろいろと観られてよかった。
残念ながら、うち5枚は撮影禁止だった。唯一撮影できた絵画が左の、建物の上から市井を眺めた1枚である。この樹木の葉の色使いは、まさにピサロのものである。初夏の若々しい葉が幾重にもなっている様子に見とれてしまう。ほかには、市場の様子を描いた作品もあった。僕が見たことのある作品のなかでは珍しい、にぎやかな光景であった。しかしタッチは彼そのもの。感激と至福の時間であった。

(左から、ピサロシスレー、モネ。右だけ作風が違うのが分かるだろう。)
ピサロの絵の隣は、順にシスレーとモネである。シスレーもオルセーで発見した画家だった。彼はどちらかというと青、空の色がいい。モネは有名だが、こうやって比べると、なんとなくくどい感じがしないか。モネの作品にはときどき赤いインパクトが表れる。あれは、彼の描く緑には棘があって、そこに赤を入れることで均衡が保たれているような感じがする。正確で整理されていて綺麗なのだけれど。

(マルケ・コレクション。とても好きな美的感覚。)
ほかに紹介したいのは、アルベール・マルケという画家である。この美術館で始めて「発見」した。なんと居心地のよい、大らかな絵を描くのだろう。ピサロシスレー、そしてマルケ。棘のある緑よりも、その緑だけで人を和ませてくれる、そんな絵と絵描きが僕は好きである。