宿が遠い

かくしてシャトル便は着陸した。プルコヴォ1空港はものすごく寂しい地方空港の様相だった。学生のころに利用していた花巻空港よりさびれているように見える。到着専用の空間だからなのだろうか。飛行機から歩いて建物に入ると、そこはターミナルと離れた場所にあるので、地下通路でロビーに向かう。案内がないので、目の前の階段を下りていいのかも戸惑う殺風景さ。そして長い長い動く歩道。ガタガタと不安定なくせして、高速! 僕にはそれでかまわないけど、これに乗れない人は飛行機に乗ってはいけないと言わんばかり。だいたいどこだって動く歩道は普通の通路と並走しているものだが、ここでは脇の通路は狭く老朽化で床が剥がれていて、通路というより溝である。

(プルコヴォ1の搭乗口を帰りに撮影したもの。円形の建物で、中央に深部につながる階段がある。)
ところで、どこにも英語がない。荷物を受け取ってロビーについてもわけが分からない。と、そこに、旅行書に書いていたタクシーの呼び込みがやってきた。しかし、おっさんひとりを無視して断ると、いくらか文句を言われたものの、その後は近くにいても声をかけられなくなった。本によっては、運転手の数がすごくて、手前にマフィアの息のかかったのがいて高い値段を吹っかける。そこを突破しないとまともな価格の白タクに会えないとあった。どちらにせよ白タクというのがどうかしているが、実際にはそんな威勢のいい現場ではなかった。夜遅かったからだろうか。
さて、どうやって空港から出ようか。近くに、成田からここまで同じ道のりだったヨーロッパの女性がいた。シャトル便では前の座席にいて、近くの席の夫婦と話していたが、ロシア生まれだが日本に在住していて、子供も大きいそうだ。日本語は堪能だった。その人に、どうやって市街地まで出るべきか尋ねた。あわよくば途中まで同行できればと思ったのだが、タクシーは高いからバスに乗りなさい、バスはすぐに出発してしまうから急ぎなさい、と告げて消えてしまった。
消えた、というより、僕に当面の所持金がなかったのだ。モスクワで両替して小銭を確保する予定が狂い、実質的にここまで文無しである。両替所を探した。見渡す限りしかないロビーのどこにも見つからない。あったのかもしれないけど、英語もないし、それと思しき雰囲気の場所もなかった。唯一ある窓口は、どうやらタクシーの受付のようだった。つまり、白タクでないタクシーの。
両替所がない代わりに、ATMならずらずらと並んでいた。早くもクレジットカードの世話になった。今月で期限が切れるVISAカード。こいつを使い始めたのはスペインだった。マドリッドで強盗に会い、現金やらパスポートやらをやられたあと、たまたま別のポケットに入っていたこいつを頼りに、渡航書が出来るまでの数日を過ごした。思いつきの海外旅行のおかげで、思わぬ引退試合となった。
ATMの画面にだけは、辛うじて英語があった。これまでの海外旅行でもずいぶんお世話になったATM。そのときの記憶が一気に蘇ってきた。べつに苦い思い出があるわけではない。ただ、5年ぶりに"withdraw(引き出す)"という単語にお目にかかった程度のことだ。そこで5000Pを引き出した。"P"はルーブルの略称である。キリル文字のPは英語の"r"の発音と同じである。
なんとか確保した現地通貨は、1,000Pが5枚。これでだいたい2万円ぐらい。しかし旅行書によるとバスの料金は22P。万札しか持たずに路線バスに乗り込むようなものではないか。細かく崩してから出ないとバスには乗れまい。バス停前のキオスク(これはロシア語)でミネラルウォーターでも買えばいいだろうと思ったが、おばちゃんは「ニェット!」。ノーをあっさり突きつけられた。初めてリスニングに成功したロシア語だった。
このままお札を崩せないまま酷寒の地で途方にくれるわけにもいかない。目の前のバスを追いやったら、次にいつ乗れるか分からない。最終便かもしれない。バスを見ると、車掌らしきおばちゃんが客から料金を受け取っていた。すがる思いでおばちゃんに1,000P札を見せたら、困っていたけど、とにかく席に座って待つように、というジェスチャーを受けた。バスに乗せてくれた。
車掌のおぱちゃんは、僕以外の客から料金を回収したあと、僕のところにやってきた。硬貨より紙幣の流通が多いと見えて、おばちゃんのもとには大量の紙幣があって、なんとかお釣りの都合をつけてくれた。そしてこちらはなんとか「スパシーバ!」、ありがとうと告げた。
バスは大きな通りを直進した。携帯電話の電源を入れてみた。この日のために海外で使える機種に変更しておいたのだ。無事に電波が届いて、しばらく受信していなかったメールを受け取ると、友人からの新年の挨拶だった。どうもおめでとうございます、いまロシアなんですけど。返信したが、日本では朝の暗い時間のはずだった。
さて、問題があった。地下鉄の駅、モスコフスカヤで降りなければならないが、どうやらそこは終点ではないらしいので、タイミングを逃してはならない。でもどうやって場所を見つけるのか。いま僕に出来るのは、食い入るように車窓を見つめることだけだ。やがて、駅名にとても近い名前の建物を見つけた。そこはいくらか商店があって、明るかった。そして地下鉄(ミートロ)を示す"M"の看板も。多くの乗客とともに、思い切って降りた。

(後日撮影した、地下鉄駅のエスカレーター。実は撮影禁止なので恐る恐る撮ったらこんな写真に。)
噂には聞いていたが、ロシアの地下鉄がすごい。ひたすら深く深くエスカレーターで突き進まないと、ホームはおろか切符売り場もない。エスカレーターには3分ぐらい乗せられる。いわゆる地下4階ぐらいまでは一気に降りたのではないか。地盤の問題とは思えないので、ロシアで地下鉄はそういうものなのだろう。
切符売り場の窓口で「ジェトン」というコインを買う。料金均一なので、そのコインを改札機に入れれば1回分の料金ということになる。旅行書より高い20Pだった。地下を散々降りたら、長いまっすぐな通路に出た。ホームはどこだろうと探したら、その長い通路こそがホームだった。通路の脇に窓のない黒くて頑強な鉄扉がある。じっとしていると、壁の向こうを電車が通る音がして、やがて鉄扉は勢いよく開いた。海外で鉄道を使うとき、はじめはどこでも戸惑うが、地下鉄でこんなにカルチャーショックを受けたのは初めてだった。本には、飛び込み乗車しなくても短い間隔で運行しているから安全に乗るようにと書いてあったが、その意味が分かった。飛び込んだら怪我ではすまない。
車内の路線図とにらめっこしながら、一方でスリに会わないよう周囲を観察して、一番の繁華街、ネフスキー大通りで降りた。21時を回っていたが、古いヨーロッパの建物が並ぶ大通りは、ネオンで華やかで、人通りも多かった。この国のクリスマスは年明けにやってくる。それで賑わっているようだ。もっとさびれていて、暴漢に警戒しなければならないと思っていたのだが、ことのほか安全だった。

(夜のネフスキー大通り。この先、新しいカメラを上手く使いこなせずブレている写真多数。)
途中の売店で水を買って、頭に叩き込んだ地図の通り歩いた。売店でお釣りを1Pごまかされたようだが、気にする余裕がない。札幌生まれのわが身でもめったに味わわないような寒さである。しかし雪はあまりなかったので歩きやすい。大通りから一本小路に入るときは思い切り警戒したが、怪しい人に出会うことなく、宿は見つかった。玄関には大きな門があり、インターホンで開けてもらう。宿の初老の女性が部屋まで案内してくれた。
宿までの道すがら、マクドナルドとKFC、それに24時間営業のカフェを見つけた。シティバンクもあった。未知の国だが、少なくともこの街のこの地区は西ヨーロッパの都市に似ている。とりあえず飢えずに生きていけそうである。長い初日はこうして終わった。