安全はいただきものではない

年末、故郷で完全にのびていたら、なんだか不思議なニュースが飛び込んできた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101230/k10013141781000.html
リンク先はそのうち消滅するだろうけど、そこにはこう書いてある。

自動車のブレーキとアクセルを踏み間違える事故が後を絶ちませんが、各地にある車検場でも整備士による踏み間違い事故が相次いでいることが分かり、検査を行っている独立行政法人は「車の“プロ”であっても気持ちが焦ると事故を起こしてしまう」として注意を呼びかけています。

このニュースに言及したブログを上位からいくつか見ていると、企業の安全対策や、行政の注意喚起の不足を指摘する声が多いようだ。それはあるのかもしれない。一般道での事故の件数はずいぶん多いようだが、自動車メーカーがリコールしたという話は聞かない。このネオリベラルな世界では、消費者は資本に組み入れられて生きる宿命にあるようだ。
だからと言って、プロが事故を起こすことにいちいち企業が言及するものかどうかも、一方で疑わしい。マニュアル車ならエンストを起こすような操作の話である。自分は安全になるようにできているという根拠のない論理が、どこかにある。
運転免許は権利ではなくて許可なので、ある一定の技能を持つものが行政に運転を許されているに過ぎない。安全でないから許可制になる。オートマ車は便利だが安全とは限らない。しかし便利であるから安心してしまうことが安全であることと混同するようになる。
世の中が便利になりすぎて、安全であるかのような錯覚を起こしすぎる。道を歩いていて、目の前を僕が歩いていて、ぶつかることが相手にもよくわかっているのに、相手はよけない。別にチキンレースを楽しんでいるわけではない。相手がよけてくれるので安全であるという、完全に誤った思考回路が完成されている。物体が重力によって上から下に移動するのと同じレベルで、自分には何もぶつかってこないと思っている。保障されていると思っている人がやたらと多い。
資本に組み入れられることで、根拠もなく安全を手に入れたかのように見えるが、自分で自分の身をどうすることもできなくなった結果、ますます高付加価値の便利を買わないと、根拠のない安全を維持できなくなる。それを繰り返す。
まずこのニュースを、笑えない笑い話だってことから始めてはどうなんだろうか。企業の肩を持っているのではない。企業に何を期待しているのか問うているだけのことだ。